9号車乗り場

9号車乗り場

旅行記やら日記やら

書くことがない

表題の件、ご了承ください。

 

自宅に引きこもざるを得ないのでなにも起きない。平凡で退屈な日常。もし俺が古臭いライトノベルの主人公だったら、親戚の家の美少女を預かることになったり、隣の席に転校生が来たり、階段の踊り場でネクタイを締めあげられながら脅迫されたり、まぁいろいろ起きるのだろうが。あいにく親戚の女子はとっくに成人しているし、隣の席はハゲの上司だし、ネクタイも半年は付けていない。

じゃあ書かなきゃよくない?そりゃそうなのだがこのブログは月一は更新すると決めているのだ。なにか書くネタでも女の子でもいいから降ってこないかな、と待っていたら最終日になってしまったので酒を入れてキーボードを叩いている。

そういえば、昔読んだラノベの後書きでひたすらこんな感じに「書くことがない、みんなどうやって後書き埋めてるんだ」的な愚痴を書き連ね、最後に「あ、いつの間にか埋まってた!」みたいな締めをしていた物があった気がする。誰だったかな、ラノベの後書きで面白かったのはバカテスと生徒会の一存なのでたぶんどっちかだろう。「ここのボルトが総受けします!」の一文で笑わせてくるバカテスの後書きは本当に天才だと思う。もっとも、その真似事が出来るような文章力はないのでやめておくけれど。

 

自分がオタクに染まったのは多分、母親が発売直後に買ったiphone3GSで見た組曲ニコニコ動画だ。当時あれの替え歌が粗製濫造されていたので(いわゆる○○で××歌ってみた的なやつ)たしかそれでハルヒにはまったのだろう。小遣いをラノベ購入に充て始めたのはそれからだ。ハルヒ→バカテス→生徒会の一存ひぐらしのなく頃に→と当時の有名作品を買いあさった。数年前にハルヒ以外を友人に譲ってしまったのでもうわからないが、当時全巻揃えていた作品を思い出せば、ハルヒバカテス生徒会の一存ひぐらしはがない俺妹…まだほかにもあったか。とにかくサラブレッドアキバ系である。YoukuだのDailymotionだの動画サイトも夜な夜な徘徊していた記憶がある。高校のとき使っていたiphoneにはいろんなサイトから落としてきたアニメが詰め込まれていたし、通学途中に読んだ本は9割9分ラノベだった。週一?だかで出されていたちょっとした読書感想文にもなんのためらいもなくラノベを書いた記憶がある。完全に厄介オタクだ。こういう生徒にもちゃんとコメントを書いてくれた当時の現国教員はいいやつだったのかもしれない、ありがとうな吉川。

ついでに(手段問わず)視聴したアニメの振り返っておこう。

恐らく、最初に見たのはどうせハルヒだ。「サンタクロースをいつまで信じていたか~」と独白するキョンとその通学風景から始まる映像は鮮烈なものとして俺の記憶に焼き付いている。パッと思い出せるだけでも、と禁と超らきすたけいおんAB!クラナド艦これ…アキバ系のオンパレードだ。たぶんこの時代の秋葉原はこの辺の看板がソフマップ辺りにでかでかと掲げられていたのではないだろうか。一時期key作品にはまってそのあたりを漁っていた時期もあった。クラナドは人生、なんて名言があるがクラナドを見たときは感動して涙を流した。たぶん、今でも真剣に見返したら泣く自信がある。

https://dic.nicovideo.jp/a/clannad%E3%81%AF%E4%BA%BA%E7%94%9F

さて、最後にリアタイしたアニメは艦これだ。かなり不評だったが俺は毎週楽しみにしていた。しかし、艦これを境にパッタリと見なくなったのかといえばそうでもなく、いろいろ検索した結果、最後に見ていた時期があのサムゲタンで有名なさくら荘のペットな彼女あたりらしいので2012年、桜trickを見た記憶があるので2013年、艦これアニメは2015年だから2年のブランクがある。iphone3GSの発売が2008年なので、真剣にオタクだったのは4年半ほどといえる(そうか?)が、その4年半で俺の人生は決定づけられたのである。いわゆるシュタインズ・ゲートの選択か、というやつだ。

よって無事、「過去にとらわれた厄介な老害のオタクだったナニカ」になってしまったわけだが、こうなっていなければ、俺はきっといわゆるキョロ充(死語だ)になっていたのでこれでよかったのだろう。おかげで知った世界もあるし、知らなくてよかった世界もある。知った遊びもあるし、失ったものもあるのだろう。ただ、きっとこんなブログを書こうなんて思ってなかっただろうし、同じような過去にしがみつくオタクと昔話に花を咲かせるのもまた好きなのだ。

 

※酔って勢いで書いたので支離滅裂だろうが、やけに恥ずかしいことを書いた気がするので添削などはおこなわない。

入社して一年間が経ったことへの感想文

あっという間ではないにせよ、なかなかの速度で社会人一年目が終わった。

この記事は正直、今現在書くこともなく書く気もしないのだが、入社一週間と一か月の感想記事を書いた時点で、一年後の感想文も書くと決めていたことを思い出したので勢いに任せて書き始めた。

この一年を振り返り、学んだことの整理でもしてみよう。

 

・4月

入社して、出会ったことのない人種を知った。このひと月の話はリアルタイムで記事を書いたのでそちらに任せる。

wwgogo.hatenablog.com

 

 ・5月

研修生活にもなんとなく慣れて、どんどん手を抜き始めた時期だったと思う。基礎の飲み込みはなかなか早い方なので、このあたりでは研修の講師陣からの評価もまずまずで、なんかチームリーダーみたいなのもやっていたと思う。

研修での思い出は、毎日順繰りに行った発表だろうか。前日に与えられたお題に対して翌日までに発表内容を考えて、当日指名されて発表を行う。私はこのころ既に手を抜き始めていたので何も準備することなく当日を迎え、指名され、100%のアドリブで最高評価を手に入れた。それ以来、やけに俺の発表は評価が高かったので一度も準備しなかった。思えば大学のゼミでの発表でも、前夜に準備した発表が褒められたこともあった。大江ちゃん(ゼミの先生)ごめんな。

 

・6月

中旬に外部研修最終日の発表。5月の末からチームを組んで教材に従って実装を進めていった成果物の発表である。

ここまでの発表でやけに評価されていた俺は、どうやら話の内容以上に元気の良さを見られているようだと判断、実際評価点に上がってたし。で、リハーサルのときに同じチームの女の子に言われた言葉「私の声が小さいって言われるの、○君の声がでかいからじゃない??」うーん一里ある、でも講師陣はそのくらいの声量がベストって言ってくれてるし。

無事に外部研修を終え、数日の内部研修の後、現場都合で2週間前倒しで現場配属。研修で扱った内容とかけ離れた難度のコード、年上しかいない環境などにやられる。最初に与えられたタスクを1週間くらいかけて終わらせたことを覚えている。たしか入力エラー時に警告を出す、みたいなやつだった。

 

・7月

以下参照。

wwgogo.hatenablog.com

 つまり大分限界を迎えていたのだ。

 

・8月

なんとなく仕事の雰囲気、立ち回り方を把握し始めたころだったようなきがする。たしか、作業がめちゃくちゃ遅れてすごい残業した週があったのはこの月だった。powershellを使った文字の置換と画面への出力だったと思う。

あと待ち焦がれた夏季休暇。GWが長すぎて有給消化になってキレそうだった。広島に行って台風直撃したやつ。

相変わらず上司からの指示が分からなくて困っていたのもこの時期。

 

・9月

周囲の空気を察する余裕が少し出てきて、現場がめちゃくちゃ暇だということに気が付いた。相変わらず俺は自分の作業が終わらず悲鳴を上げていたけれど。

この時期の思い出は、毎週月曜の進捗報告会での会話内容が何一つ理解できず眠気との闘いを繰り返していたことだろうか。いつごろか、進捗報告会で眠くならなくなっていたが、毎週、どうやって寝ずに切り抜けるかばかり考えていた。メモをとってみるにしても、内容の分からない話のメモをどうやって取るというのか。

 

・10月、11月

このあたりから、作業に慣れたとかではなく、やることがない故に暇になってきた。本番環境でのテスト結果がないと次の作業に入れない、だとか上司が話していたのを覚えているが、正直リリースまでの流れを知らなかったのでなんのこっちゃだった。あまりにも暇で、実際の実装には使わないSQLを書いてみたり、実装済のコードを全部消して書き直すとかやり始めたのもこの時期だったような気がする。

 

・12月、1月

同期に誘われて会社の勉強会に首を突っ込み、そのまま毎週開催される勉強会に参加することになった。最初はめんどくさかったものの、残業代を稼ぎつつ会社からの評価を稼げるということに気が付いてからはなんだかんだそこそこ乗り気で参加できた。普段の業務では扱わない言語やハードを使ったものだったので、単純にほかの社員に出来ないことを学べるのは楽しかった。なにより、現場が同じでない社員と知り合い、話ができるというのは、客先常駐がメインの業務であるうちの会社では貴重な機会なのだ。

 

・2月

初めての現場移動を告げられる。大変暇であったが、ようやくここの現場のシステムの全体像を把握した頃でもあり、ある程度コードの修正にも慣れてきたので次の現場が大変不安だった。特に、次の現場はかなり忙しいと聞かされたので、来月にならないでくれと怯えていた。

次の現場に備えて勉強しといてね、どうせ暇でしょ?と言われたが、なぜかこの月は色んな不具合が発覚しその修正に追われていた。配属されたての俺が実装したコードの修正が発生したのだが、こんな実装に手間取って死にそうになってたのか、と少し成長を実感できた。

 

・3月~

まじで忙しい。最初の配属先でぬるま湯につかりきった体に突然熱湯をかけられ死にそうになった。初めて使うソフトの仕様が分からず、上司も知らないため質問の仕様がない。そもそも検索しても解説ページが少ない。ついさっき、ならネットに聞こうとteratailに投げたところだ。

下旬から、コロナの影響を受け自宅勤務になったが、予想通り全く作業が進まない。私は学生の頃から、スマホを家において図書館に行かないと勉強ができないタイプの人間だったのだが、さすがに今回は家にいないとまずいだろう。というわけで、上司もわからないのをいいことに何とかスケジュールぎりぎりを進んでいる。

 

なるほどこうして一年間を振り返るとどうにも成長が窺えない。確か最初にブラインドタッチができるようになる、みたいな目標を掲げたような記憶があるが、この記事も現状キーボードと見つめ合いながら書いているのが現状だ。

そもそも、正直技術力が上がった様子は若干するものの、多分未経験者でもできる人は半年くらいでこのくらいは出来るだろうし、なるほどこうして振り返ってみるとどうにも成長していないようだ。

人間性はどうか。そもそもこの記事は4月1日に更新しようと思っていた。なのにタイトルだけ書いて一週間下書きに放置していたわけで、後回しにする癖は全く治っていないらしい。何をかいわんや。

 

しかしまぁ、この間同期と通話した時に言われた、「いうて3年目までは下っ端だし出来なくて上等でしょ」は的を射ていると思う。そう、なんせこっちは去年まで日本史を研究していた身、卒論だって『戦陣訓が日本人と日本兵にもたらした影響』である。日本兵が大切にしていた物は天皇でも戦陣訓でもなく家族だったのだ、みたいなことを書いていた様な人間が、突然if(A.equals("1")){云々みたいなことをやっているのだからできなくて上等である。

 

さて後輩が出来た2年目。今年度はどんな一年になるでしょうか。

鹿児島旅行記

3月7日~9日の2泊3日で行った鹿児島旅行の記録

高校大学と7年以上(なかには中学から)の付き合いの友人5人と鹿児島へ旅行。

高校の卒業旅行で鹿児島に行った際、「社会人一年目の給料が一番高かったやつのおごりでもう一度来よう」と約束した。それを全員が覚えていたので、今回はメンバーを増やして決行したのである。

 

1日目

先週北海道から帰って以来1週間振りの羽田。そんなことは関係なく空港はやはりテンションが上がる。

先週より早い6時半着。チェックインカウンターの前で集合して6人分のバウチャーと預入荷物の札を発行したらものすごい長さで驚いた。保安検査場では先週と違いベルトを外せと言われたが、まさか係員によって違うのだろうか?

7時45分発スカイマーク301便。日々会社でただ苦いだけのコーヒーを飲んでいるので、機内で出されたのは本当に美味しく感じた。ちゃんと味するじゃん。

昼飯は鹿児島空港の大空食堂、鶏飯を出している店がここしかなかった。

具材を乗せた後、鶏スープをかけて食べる。当然肉は沈んでいるので底から掬ってやったが、何を思ったか上澄みだけ掬った友人は「肉どこにあんの?」と困惑していた。

 

空港に併設されている無料足湯に浸かる時間もなく、ここからはレンタカー移動。完全ノープラン旅行で、大隅半島方面に行くこと以外なにも決めていないため、そちらに車を向かわせながらガイドブックで検索。ガラス作りの鳥居があるという神徳稲荷神社に向かうことに。写真で見る限り、赤い千本鳥居の前に立つ大きな透明の鳥居がとても美しいのでとても期待していた。

........しょぼ!鳥居ちっさ!

膝下くらいの小さい看板しか案内を見かけなかったので若干嫌な予感はしていたが、雨のせいでガラスが映えないのは、稲荷だから良い。にしても小さい。写真詐欺とはこのことか。

10分程滞在して出発。海鮮が食べたいということで、20分程行ったところにある、みなと食堂で昼食をとった。名産のカンパチ漬け丼と猫。人慣れしていて擦り寄ってきた。

この後の行き先も決まっていないので店員におすすめの場所を聞いたところ、天文館(地名)行けばなんでもあると言われた。そりゃそうだけどさ。

 

宿は鹿児島市内なので、桜島を経由して戻る。火山灰で埋まったという黒神神社の埋没鳥居。案内看板に黒神地獄と地名が書かれてあり、あまりのかっこよさに車を走らせたものの噴火の危険があり立ち入り禁止。地名の由来について「噴火を神の怒りだと恐れた昔の人たちが、その影響が大きかったところを地獄と名付けたんだろう」みたいなデタラメを友人に吹聴したが、今調べてみたところ、溶岩が流れ出してさながら地獄のようになった地域一帯のことを指しているらしい。当たらずとも遠からず。

フェリーで薩摩半島に渡りホテルへ。18時半に集合して夕飯など決める予定がすっかり寝過ごしてしまい、19時半になっていた。駅前だが、このご時世だし鹿児島だし、ということで適当に見繕った魚菜丸という居酒屋で夕食。案の定ガラガラ。肉も魚も酒も旨かったのだが、鹿児島に来たのだしせっかくなら3M(森伊蔵、魔王、村尾という高い焼酎のこと)全部飲みたい!となった。村尾以外は既に飲むアテがあったので、小雨のなか、近隣店舗で提供している店を探したところあっさり発見。隣の通りにある特攻チキン野郎という店に行った。鳥メロと鳥貴族の合の子みたいな名前なので(失礼)どうかと思ったが、1店目よりもいいものが食べられた。酔っていたので写真を撮り忘れたのが残念だ。

鹿児島ラーメンを食べる時間か無さそうだったので、ここで〆にすることにした。これも近くにあった鹿児島ラーメン豚とろという店。満腹近かったが、とても美味しかったのでぺろりと平らげてしまった。

日付を跨いだあたりでホテルに戻り、大浴場では延々サウナに入る友人らに驚いたりしながら2時前に就寝。

 

2日目

8時過ぎに起きてスマホを見ると、なんと6時45分に「朝飯食いに行く人いる?」と連絡が入っていた。昨日の移動中に冗談交じりで、朝一で漁港まで行けばうまい朝飯が食えるぞと話したのだが、それを別部屋の2人が決行したらしい。なにを食いに行ったのやら。

今日は薩摩半島をぐるっと一周する予定。9時15分に出発。

最初にいったのは鹿児島市内の仙巌園。ここは島津家の別邸で、5年前にも訪れている。当時の写真の大半がどこかに行ってしまったのでどうにも思い出せなかったが、同じ道を歩いてみると部分的に記憶がよみがえった。思い出したのは土産屋と軽食屋で、肝心の展示はそうでもなかったのだが。隣の薩摩切子の工房にも立ち寄った。小さなおちょこでも1万前後で、さすがに手は出せなかった。このあたりで朝飯を食べに行った2人が空腹を訴え始める。聞けば、漁港は閉まっていて、近隣ホテルの朝食もコロナ対策で閉まっていたのだという。

一通り見たあと、山道を南西に進み枕崎で昼食をとった。枕崎お魚センターというところで、2日連続で海鮮をいただく。浸けてないカンパチのほうが、新鮮な刺身を食べるのには合っていると思う。向かいにあった薩摩揚げ屋で揚げたてを買い食いしたあと、海沿いを走り、イッシーで有名?な池田湖を観光。思ったより広く、背後に見える薩摩富士(開聞岳)が良い光景だったが、やはりかなり寂れた観光地。「池田湖土産」的な文字が書かれたボロボロの看板が良い味を出していた。別の土産屋(観光地によくある観光センター的なところ)には大きなイッシー像が配置されているなど整備されていた。ここで発見した西郷隆盛像型の徳利に全員が夢中。男気じゃんけんの結果購入することになった。酒が720ml入って2980円とかだったので悪くない。

JR最南端の駅である西大山駅へ。最南端の看板が立っている以外別にこれといって見所があるわけではないが、○○端好きな自分としてはせっかくなので行っておきたかったし満足。ついでに薩摩半島最南端の長崎鼻にも立ち寄った。ここは竜宮伝説の残る地で、岬には竜宮神社もある。駐車場は付近の商店の敷地内で、各々の店員が店前に出てきて誘導してくる。要するに自分のところに止めさせて、ついでに買い物させれば売り上げの足しになる、というわけで、一年前にエジプトで似たような光景を見たなと思った。あそこまで乱暴じゃなかったけどさ。長崎鼻灯台を過ぎると、崩れた道が所々にある程度のそこかしこに潮溜まりのある岩場。ちょうど塩が満ちてきている時間帯で、(見える限りの)先端まで行くには波被りする細い岩場を渡る必要があった。さすがに行かないだろう、と思っていたら革靴で突撃する友人。転ぶだろうなと思っていたら、帰り道に別の友人が岩場で派手にすっころんだ。

車を止めた商店で買い物をすると駐車代無料ということで、男気じゃんけんの結果白波という焼酎の5本セットを購入(今回は回避した)。今晩の飲み会に消えるだろう。

さて、負傷した友人の服と絆創膏を買ったあと、いよいよ今回のメインである宿、白水館に到着。また来よう、という約束をしていたのは実際はここに来るものだったが、まさか本当に実現するとは。

この宿、いわゆる高級旅館である。駐車場から玄関に向かうと、まだ相当の距離があるところから荷物を受け取りに来てくれる。ロビーに入った友人曰く「やばいところに来てしまった」本当にそう思う。前回の反省点として、”部屋に入って取りあえずお茶入れて飲んでたら、部屋まで淹れにきてくれて大恥をかいた”というのがあったので今回は少し待ってみたのだが、来る気配がない。仕方ないので夕飯まで大浴場に行くことにした。

別館(部屋から徒歩5分)の大浴場は、大風呂に橋が架かり、橋を渡ると露天風呂に繋がるという、そこらの大浴場とは一線を画する規模だ。この時は時間がなかったので簡単に済ませ、夕食を食べに行く。食事券を見ると、「料亭 味彩」と書かれている。料亭???一番奥の座敷に通されると、the高級な料理の数々。「このような時期に足を運んでいただいたということで森伊蔵をサービスしておりまして…」ということで、予約しておいた森伊蔵と合わせて2杯もいただいた。どうにもこういう高級な場所は不慣れなので、普段ならバカ騒ぎするメンバーでもお行儀がよくなってしまう。いいことだけど。夕飯のあとは再度大浴場。今度は露天風呂、サウナ、その他さまざまな浴槽を楽しんだ。23歳にもなってサウナで我慢大会をしたり打たせ湯で修業をしたりするとは思わなかったし、それを楽しんでしまうあたりが成長していないのを実感させられる。

部屋に戻って宴会。枕崎で買った刺身、道中仕入れた酒、そして東京から持ち込んだ魔王一升瓶。これで焼酎3Mフルコース制覇である。個人的には森伊蔵が一番うまかった。相も変わらず酒を飲みながら大富豪大会。今回は調子よく貧民~富豪を渡り歩くことが出来た。

 

3日目

9時前辺りに朝食バイキング。正直朝飯は食べないのだが、高級旅館の朝飯は食べるべきだろうという貧乏人根性で食べに行った。うーんまあ普通。カレーとケーキはうまかったけど。この後、10時チェックアウトのために準備していたら会社から電話がかかってきた。どうやら有給申請が確認できなかったらしいが、後日ちゃんと証拠を突き付けて事なきを得た。

最終日の今日は、明日の出勤のことを考えて15時のフライトなのであまり時間がない。どうしても食べたい鹿児島名物しろくまを食べに、その発祥の店であるむじゃき本店へ行った。山の様なかき氷が運ばれるのを見た友人は驚いていたが、なんだかんだと全員完食。私が注文したのはチョコレート味で、ふわふわの氷に甘すぎないチョコソースとマシュマロが合わさってとてもおいしかった。これを昼飯替わりとして空港へ戻る。

空港では思ったより時間が差し迫っていて、速足でお土産を購入。ラウンジで焼酎の試飲があったので行きたかったが仕方ない。無謀にも昼飯を食べに行った2人を置いて一足先に保安検査場をくぐって待つものの、一向にやってこない。結局出発ぎりぎりに乗ってきたが、旅の最後に肝を冷やした。16時40分に羽田到着。

北海道旅行記 ~第二次卒業旅行~

今年卒業する同級生の卒業旅行。
 
前回北海道に行ったのは2018年の夏。アメリカ横断から帰国した翌日に、震災直後の札幌を観光したきり。なので観光客に溢れる北海道を知りません。今回はどんな感じなのかなぁとわくわくしていました。
 
2月の北海道(日本)は、武漢肺炎の影響で非常に閑散としていました。28日には札幌に非常事態宣言が出るなど、またもガラガラの北海道観光となりました。
そんな時に旅行に行くなという声もありましょうが、せっかくなので旅行記を認めます。
 
<旅程>
1日目:
 
2日目: 
 
3日目: 
ホテル→小樽→新千歳
 
 
2月28日
地元で友人(卒業生)と合流してハイウェイバスに乗り、空港では先輩と合流して羽田発新千歳着8時40分のスカイマーク705便へ搭乗。朝御飯は空港の外れにあるサブウェイにしました。
新千歳に定刻通り、10時20分に到着。ファイターズのカフェにテンションが上がります。f:id:aiz4ryhe:20200305075329j:image
 
ここから送迎バスでノーザンホースパークに向かいます。大型のバスに乗客はわずか4人(私たちを除けば1人)。あまりにも少なすぎる客に若干の不安を覚えつつも到着すると、現地には売店のおばさん以外の人がいません。大きなガラス戸に映った自分たちを見て「あ、他にお客さんいるんだ~」と思うくらい。同じ勘違いをしてて面白かった。
ともあれ、営業はしているので厩舎の見学。
馬、かっこよ!面長の人を馬面なんて馬鹿にしますけど(馬馬しつこいな)、筋骨隆々それでいてしなやかなサラブレッド、本当にかっこいい。
13時からのポニーショーを見るためにメインホールに入ると、恐らく客全員(10人程度)が集まっていました。初めて見るポニーショーですが、後ろ足で立ったり、狭い台に乗ったり、顔芸したりと多彩な芸を見せてくれました。大きなサモエド犬に興味津々のポニーが大変かわいかった。
馬そりにも乗りました。最後に馬を見たのはカイロでしたし、その時はなぜか街中を馬車で闊歩したのでこうした正常な馬そりは何年ぶりでしょうか。人間なら60歳くらいという大きな馬に引かれて雪道を滑るのは中々にそれっぽさがありました。
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さて再度バスで空港に戻り、JRで札幌市街へ。ここでレンタカーを借りて、日本一危険な動物園とも言われるノースサファリサッポロに向かいます。雪道の運転は初めてでしたが、今年は暖冬でもあり大通(地名ではない)の路面はしっかり除雪されていたので普通に走れて一安心。
今夜はサファリ併設のコテージでバーベキューの予定なので、道中のスーパーで食材を買い込みました。
 
除雪されていない完全な雪の山道を走り到着。このコテージでは、希望した動物と一緒に過ごせるサービスがあり、今回はプレーリードッグ(あくびちゃん)スローロリスをお招きしました。
到着しても未だ雪が降り続けています。バーベキュー器具も真っ白になっていましたが係の方が払ってくれたので、外で焼いて中で食べることに。火を弄っていたら、隣のコテージに泊まっていた家族連れのお父さんに話しかけられました。去年はテントに泊まって全然火が付かなかったとか。
その後、宿泊するともらえる定山渓温泉の入湯券を手に再度雪道を進みます。最終入場10分前に駆け込むと、見事に半貸切状態。雪の降る中、1人で浸かる広い露天風呂は大変気持ちよかったです。広いお風呂、つい泳ぎたくなるよね。
 
コテージに戻りあくびちゃんとロリスくんを愛でながら、サッポロクラシックとホタテを食べました。

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2日目
ベッドが足りずエアーベッドで寝ていたのですが、途中栓が抜けたのか起きたら全身がベッドに埋まっていました。その上、窓際だったため膝から下が完全に冷えきっており、動かした瞬間太腿を吊る最悪の目覚め。あくびちゃんがケージの外に出たそうにカチャカチャ引っ掻いていました。友人曰く「お前が皿洗ってくれてるのかと思った。」確かにそんな音です。
 
10時半頃チェックアウトして動物園。日本一危険とはどんなもんかというと、ライオン以外の動物に真っ当な檻がありません。キツネ、アルパカ、ヤギあたりは低い塀に囲まれているだけなので触れてしまいますし、ふくろうは繋がれているだけ、熱帯の動物がいる小屋に至っては放し飼いです。
餌やり体験はよく見るアクティビティですが、まさかワオキツネザルが肩に乗ってくる餌やり体験が出来るとは思いませんでした。私はキツネのだっこ体験をしましたが、しっぽのふさふさ感と丁度よい体重が、普段抱いている猫とまた違って大変可愛いものでした。
その後、ハスキーの犬ぞりを体験。昨日の馬そりと違って全身で風を切って進む爽快感のあるアクティビティでした。
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札幌市街に戻り、レンタカーを返却。札幌住みの友人が話していたいちご大福を買ってホテルに向かいました。
夕飯はすすきのの居酒屋。居酒屋か?ってなるくらいのご飯が食べられて満足です。ナポリンサワーみたいなご当地酒も美味しかった。f:id:aiz4ryhe:20200305080409j:image
 
3日目、最終日
小樽まで行って観光した後、一気に新千歳まで戻ります。
朝、ビジホのバイキングとは思えないクオリティの食事をしてから電車南小樽駅へ。普通にロングシートなんですね。南小樽駅、ボロボロなのに普通にセブンイレブンが入っててびっくりした。
 
最初にオルゴール堂。最近の歌のオルゴールがたくさん売ってました。二階の高級オルゴールのフロアでは400万超えの大きな物が置いてあってびっくり。100円で1曲流れる仕組みで、なるほど確かに他のものと音が違いました。重厚感っていうんですか?迫力があります。
 
 
お昼は友人におすすめされたポセイ丼で。
欲張って特盛(米とネタ1.5倍)にしたらめちゃくちゃ多かったです。普段東京の安い回転寿司とスーパーの刺身を食べ慣れているので、2,600円でこんなに厚い刺身を食べられて感動しきりでした。
北一硝子でガラスペンやグラス、アクセサリーを眺め(私はなにも買いませんでした)、再度オルゴール堂を覗いてから電車で新千歳に戻ります。改札のベンチに座っていたら、「ただいまより○○新千歳空港行きの改札を行います」的なアナウンスが流れてびっくり。どんなシステムなんですかね?帰りの電車はボックス席でした。
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空港で荷物を預け入れてからお土産物色と夕飯。以前来た時たこわさを買ったのを思い出し、今回はいかとうにの和え物を買いました。あとサッポロクラシック
夕飯は、これまた友人におすすめされた白樺山荘というラーメン屋で、ホタテや蟹まで入っている、高級で健康的なラーメンをいただきました。

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20時発の飛行機で羽田へ。25分程前倒しの21時15分頃到着。
 
 
 
 

自宅と家電量販店を6往復した話

以前私はこんな記事を書きました。

https://wwgogo.hatenablog.com/entry/2019/11/18/182602

 

この文中で、「自宅と駅を2往復したことがある」と書いてあります。そして「自分でも笑った」とも書いてあります。恐らく当時は相当呆れたのでしょう。

 

さて、当記事のタイトルを見てみましょう。「6往復した」とあります。そう、前の日曜日、私は自宅と家電量販店を6往復したのです。

これまでの自己ベストを大きく塗り替える大記録です。3倍だぞ3倍。

 

まずは簡単に、それぞれ何をしに行ったのか振り返ってみましょう。

 

前提: テレビとラズパイ(ちっちゃいパソコンだと思ってください)を繋ぐケーブルが欲しい

 

1回目: 購入するケーブル間違い(端子の型が違いました)

2回目: 欲しいケーブルを購入(帰宅後、このケーブルは不要であることがわかります)

3回目: 必要なケーブル購入(本来はここで終わるはずでした)

4回目: SDカードリーダを買いに行き、型がわからず帰宅(PCにカードリーダが付いていませんでした)

5回目: カードリーダ購入

6回目: SDカードの容量が足りず新規で購入(これは1発で正しいものを買えました)

 

なお、Twitterで「7往復した」と報告しましたがどう記憶を辿っても6回でした。訂正いたします。

 

こうして、本来なら2度(SDカードの容量不足は事前にわかりませんから仕方ないです)で済むはずの往復を3倍にしたわけです。

無事テレビとラズパイを接続することは出来ましたが、そんなことで時間を食ったために、そこから始まる会社からの課題が終わる頃には丑三つ時が近くなっておりました。お陰で寝不足、メンタル不良の最悪な体調で仕事をしました。

 

でも1つだけ良い副作用がありました。ブログに書くネタが出来たことです。

月に1度は更新するというスローガンを掲げているのですが、今月は本当にネタが出来る予定がなくて困っていました。誕生月ですが、それは去年書いたし。

 

いや、それにしたってコストが高すぎるんですけど。

 

 

上の記事で「忘れ物に気を付けたいです」と締めていることですし、これからはより一層気を付けていこうと思います。金と時間を溝に棄てた私の所信表明でした。

女装体験記

世の男子諸君!

 

ぶっちゃけさ、卒業式とかで女子の晴れ着姿が羨ましかったことない?

 

なんで男子はスーツで紺黒なのに女子はあんなカラフルなん?

浴衣もさ、男物はせいぜい白~黒の濃淡しかないのに女物は花火とか金魚とか朝顔とか。

俺もそういうのがいい。

 

そう思うだろ?

 

なので。

 

女装サロンに行きました。

 

そして

 

めっちゃかわいくなりました。

 

女装?いや普通しないでしょ、みたいな反応がまぁ過半数でしょう。

そもそも女装サロンってなに…?みたいな反応も多いでしょう。

とりあえず女装サロンで検索してみてください。結構その辺にあります。ちなみに今回行ったのは恵比寿にある変身サロンZOOMさん。

jyosou-zoom.com

 

そもそも女装しようと思ったのが、大学卒業を控えた4年の秋に「若いうちじゃなきゃできないことってなんだ?」って考えたのが始まり。若いうちの方が圧倒的にいいものになるのっていったらそりゃ女装でしょ。

いやね、別にいわゆる性的マイノリティとかじゃないんですよ。

これは良く言うんですけど、子供の頃(今もそうな人もいるけど)特撮ヒーローに憧れるじゃないですか。あるいはスポーツ選手とか。なんで憧れるのってかっこいいからでしょ?それと同じ。可愛い姿に憧れた。

 

さて体験記と題した以上体験記っぽく書きましょうか。

 

部屋に入ると(女装サロンは1対1だぞ!ほかの客と会うことはないのだ!)、見るも美しい着物が5着。赤、朱、ピンク、黒、青。

正直悩んだ。黒かっこいいし赤好きだし。

でもさ、やっぱピンク可愛いじゃん?桜柄だし。ってことでピンク。

 

選んだあとは化粧をしてもらう。

で、これ正直女装サロン行っちゃう理由の1つなんだけど、めっちゃ顔面褒めてくれるんだよね~気持ち良すぎる。「いやこれはめっちゃかわいい、ヤバイ、お人形さんみたい、最高、etc」なんて言ってもらえる環境がほかにありますかって話。ウィッグ選んでヘアセットしてもらったらもう美女とご対面ですよ。面白過ぎる。

化粧中は「うーんこれ微妙じゃない?あんま可愛くなくない?」って正直思った。てか毎回思ってる(実は女装サロンは3回目)

侮るなかれ、ウィッグを付けた瞬間俺は美女。思わず声が出るしすごいいい笑顔になっちゃうね。

で、着付け。着付け師さんもこれだけかわいいとマジでやる気出る、的な感じに褒めてくれるのでまた気持ち良い。

 写真撮影もさ、1枚撮るたびにめっちゃ褒めてくれるのよ。推しを前にしたオタクの反応の通りみたいなリアクションで。「えーいやべーマジかよめっちゃいい~」って。あまりにも面白い、気持ちが良い、自己顕示欲が満ち足りきって溢れかえるレベル。

最後に写真の受け渡しとメイク落としておしまい。またやらせて!って言われながら見送ってもらいました(キャバクラか?)

 

本当にね、うん。

自分の顔が好き、自分の顔に自信がある、自己顕示欲を満たしたい、SNSでいいね稼ぎたい。このあたりのどれかでも当てはまる人は1回でいいから行ってほしい。人生が変わるので。

 

それでは次回作をお楽しみに。

 

 

 

 

 

 

 

Q.でもお高いんでしょう?

A.今回は150分34,000円となっております…

クリスマス

 「サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかというとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。」谷川流涼宮ハルヒの憂鬱』(2003年)5頁。

 

 俺がサンタクロースをいつまで信じていたか、可能な限り正確に答えるならば中学2年12月末だ。毎年ツリーを飾り、サンタへの手紙とお菓子を供え、25日の朝を楽しみに迎えるのが、幼少(幼少期は過ぎているが)の俺の毎年の楽しみだった。「サンタなんていないよ」という周囲の声に耳を貸さず盲目的信心的に、13回ものクリスマスを楽しみにしていたのである。一度サンタから手紙が送られてきたこともあったから(今思うとそういうサービスが当時からあったのだろうが)、俺は想像上の赤服じーさんの存在を疑うことなどなかった。

 

 忘れもしない(日付は忘れたが)2010年12月、ビックカメラ新宿西口店のゲーム売り場に俺を連れていく母親が俺に放った一言。

 「サンタさんがパパとママなんてわかってるでしょ?」

 そういう意見が同級生の中で出回っているのは知っていたが、しかしそれでもサンタの存在を信じていた俺は、トドメの一撃のショックを押し殺しながら”サンタからのクリスマスプレゼント”を買ってもらった覚えがある(たしかPSPのバスケットボールのゲームだった)。あのときの衝撃は、まさに二・二六事件で「下士官兵ニ告グ」のビラを受け取った陸軍兵の驚きに匹敵するものだったと自負している。

 

 11歳になったらフクロウ便が届くと本気で信じていた。どこかでヤマネに追われながら登山をするトガリネズミがいると信じていた。ポケモンはどこかに実在すると信じていた。夜中にワゴン車に乗って過去を遡ると信じていた。高速道路の非常階段を下りて妙な世界に行けると信じていた。

 正直、今でもそんなことがもしかしたらどこかで起きているのかもしれない、イギリスのどこかに漏れ鍋やらホグワーツやらがあるかもしれない(キングズ・クロス駅しかなかったけれど)、もっといえば、いつかホグワーツでマグル学の教員として招聘されるかもしれない、なんてことを思ったりもする。

 

 高校入学前のキョンが言うところの「いるワケねー…でもちょっとはいて欲しい、みたいな最大公約数的なこと考えるくらいにまで俺も成長したのさ」の段階に、社会人になってようやく辿り着いたのかもしれない。(キョンは明らかに大人びている描写があるので比較対象にはふさわしくないとしても)俺は相当童心が残っているほうなのだろう。だから塾講のバイトをしていたときは相当懐かれていたのだが。

 

 

 さんたさんへ

 ぼくは こんなに、じこぶんせきができる かしこいこ です。

 なにかしらの プレゼントが あってもいいんじゃないかな と

 ぼくはおもいます。

 ほしいもの↓

 https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/TFEXEM23VPRO?ref_=wl_share

 

忘れ物

私は今日、忘れ物をしました。仕事終わりに行くつもりだったジムで使う運動靴を忘れたのです。「なにをそれぐらい、お前普段から忘れ物してるだろ」と、私を知る方は思うかもしれませんが、今日はそれはそれは酷いものでした。

そもそも運動靴を持って行き忘れるのは今日が初めてではありません。でもそれは忘れたことに気付かないままジムに着き、そこで気付くのが殆どでした。もしくは行く途中にハッと気付くとか。

 

じゃあ今日はなにが違ったのか?

 

 

私は靴を袋に入れ通勤鞄のなかに入れて出勤しています。昨日の夜、鞄のなかに荷物を詰めるときに靴をベランダに干していることを思い出しました。その段階でしまえばよかったものを、外に出るのが億劫だった為に翌朝に回してしまいました。

さて当日の朝、荷物一式を入れた鞄を持った私は思いました。

(なんか普段より軽いなぁ)

靴が入っていないのだから当然ですが、しかし愚かな私はその違和感の正体に全く気を払わなかったのです。

こうして、忘れ物を防ぐ2度の機会をみすみす逃した私はやけに軽い鞄を持ち出社したわけです。

 

 

思えば(ずっと思っていますが)、私はこれまで多くの忘れ物をしてきました。

 

最初の記憶は、恐らく幼稚園の時。通っていた水泳教室に道具を忘れて大泣きしました。母が取りに戻ってくれる間、友人のお母様方に慰めてもらったのを覚えています。

次の記憶は小学校一年生の時。体操着を忘れて大泣きしました。余程の泣きっぷりだったのでしょう、未だに幼馴染から掘り返されます。学校の公衆電話から母に電話したのを覚えています。

 

この辺りならまだ小さな子がやること、微笑ましく見てくださる方もいるでしょう。しかし中学、高校と成長しても全く治りませんでした。

 

中学の時、私はバスケ部だったのですが、その大会にバスケットシューズを忘れました。しかも、普段ベンチウォーマーだった私は(どうせ出番もないし上履きでいいや)と余裕ぶっこいていたのによりによって出番が来てしまい、仕方なく上履きで試合に出ました。上履きでプレーするバスケ部員を、私は桜木花道以外に知りません。

 

高校の時、禁止されていたバイトをちまちましていた私は3回目にして出勤し忘れました。ちゃんとしたバイトというわけではなく、暇な時に来てね、という感じだったので大事にはなりませんでしたが、これが今後繰り返すことになるシフト忘れの第1回となりした。

 

さて大学。これはもう自分でも笑ってしまいましたが、自宅と駅を2往復したことがあります。駅についてから忘れ物に気が付いて取りに戻った経験は、誰しも1度はあるでしょう(あるよね?)が、1度の外出で2回戻ったとなるとこれは中々ないと思います。

駅に着く→財布がない→帰宅→次の電車まで時間がある→回収来た財布を机に置いて水を飲む→家を出る→財布がない

ということをやったのです。ギャグかと。なぜ私はすぐに鞄に入れなかったのかはわかりませんが、そんなことを21にもなってやったわけです。

 

さて社会人となった今も冒頭のように元気に忘れ物をしている私ですが、いつ忘れ物が原因で遅刻をするかと戦々恐々としています。

根本がだらしないのでしょう。常に自室はある程度綺麗にしていますが、それでも良く物を失くします。特に折りたたみ傘がしょっちゅうどこかにいきます。

 

これからは忘れ物に気を付けていきたいです。(いい感じの結びが出てこなかった)

 

 

 

口語が難しいという話

 別の記事を試しに口語体で書いてみたところあまりに文章が書けず断念したが、せっかくなのでそれを記事にしてみる。

 

 口語体って書くの難しくないですか?普段話している言葉が口語だ、といってもじゃあそれをそのまま文章にしたら単に読みにくいわけですし。「今日こんなことがありました!こんなことを思いました!すごい!」みたいなこと書くなら口語体でもしっくりくるし、むしろあってると思うんですよね。ぶっちゃけ俺のブログもそんな内容だったりするんですけど、それでも変にカッコつけちゃうからついつい常態にしちゃう。

 なんでだろなって考えてみました。そもそも俺がブログを読むようになったきっかけ何だっけって記憶を遡ってみる。そういえばポケモンの対戦考察ブログ(以下ポケモンブログ)を読み漁るようになったのが始まりだったっけ。それで自分も書くようになって。俺はいわゆる”ガチった”ゲームがポケモンしかないので他のゲームがどうなのかわからないんですけど、なぜかポケモンブログは常体で書くことが多いんですよね。実際に読んでみたい人は「カバマンダ 構築」とかで検索してみるといいと思います。

 一時期、なんだかんだ6年間くらいポケモンブログ書いてた時は例にもれず同じような書き方をしてました。そうだ、せっかくなのでちょっと再現してみましょう。

 

 

以下、常体。

 

 ポケモンブログとはこんな感じの書き方である。「以下、常体。」は半ば定型文的に(少なくとも俺が読んでいた時代は)使われていた。この書き方をすることによって「簡単な挨拶(口語)→ポケモンの紹介(常体)→締めの一言(口語)」の流れを自然に行う事ができる。便利なある種のフレームワークであり、よく採用した。

 

 

 と、こんな感じに書いた記事をこのブログを開設する前に40記事超書いていたものだから、自然と同じ文体になっちゃったのかもしれませんね。正直、ここまで書くのにめちゃくちゃ時間かかってます。だって慣れないんだもん。自然と常体になって慌ててバックスペースキー連打ですよ。

 

 ところで、時々Twitterでバズるブログ記事あるじゃないですか。「この記事面白すぎwww」みたいな感じで。あの記事で(少なくとも全文が)常体のブログって見たことなくないですか?「面白い、分かりやすい、万人受けする」ブログ記事ってやっぱり口語体の方が良いんでしょうかね。こうしてブログという形でネットの海に流している以上、なるべくたくさんの人に読んでもらってアクセスカウンター回して欲しいわけで、そんなわけでこれからは俺も口語体で書くようにしてみましょうか。ただ、後々読み返した時に恥ずかしいかな、そんなことも思ったり。

転職エージェントに行き転職を思い留められた話

7月某日、転職を決意した私はとある転職サイトの面談に向かっていた。

2ヶ月前の記事には「やっていけそう」的なことを書いているのになぜそうなったか、そして面談でなにを話したか辺りのことを書き留めておく。

 


2ヶ月前、私はまだいわゆる外部研修を受けていた。内容としては配布された問題集をひたすら解いていく、わからないところは講師に質問する、といったような感じ。正直、同クラス内では出来のいい方だったので問題に苦戦することもあまりなく、だから「やっていけそう」という感想だったのだ。

それが6月末から始まったOJTで打ち砕かれた。手渡された資料、画面上のコード、飛び交う会話、何一つわからない世界に単身で投げ込まれてさあ仕事をしろと言われる。外部研修で作られた一定の自信が急速に萎んでいった。

わかりやすく英検で例えると、外部研修でやっていたものは精々5〜4級でOJTは2級。5〜4級とは中学1,2年生でやるレベルであるから、詰め込み学習をすれば2ヶ月半くらいで定着できる。ではその状態で2級(高校卒業レベル)を受けたらどうなるか、という話。単語、構文、リスニング、スピーキング全ての面で全く歯が立たないことは明白である。

 


なに、英検2級くらい簡単に受かる?そういう話をしているのではない。漢検に例えたって良い。

『つぎのかたかなをかんじになおしましょう。⑴ガッコウにいく』

を解けてキャッキャ言ってる小学校低学年に

『以下のカタカナを漢字に直せ。⑴頑丈なテッピをシツラえる』

を解かせるようなものだ。

 


そんな状態だから、嫌気がさすのにそう時間はかからなかった。そして冒頭に至るわけである。

 


面談はオフィスの個室で1:1で行われた。担当してくれたのは30手前くらいの美人な方で、結果としてこの人が私を転職から思い留まらせたわけだ。なんで転職したいのか、どんな職に就きたいのか、転職のリスクなどなどを話す。

Q.なんで転職したい?

A.落ち続けた結果やむなく入った会社。空虚。

みたいな会話をした。

正直私は転職を舐めていたので割と軽い気持ちで行ったのだが、担当の方に思い留まれと勧められた。

 


理由は以下のようなものだ。

・3ヶ月で辞めると次が見つからない。

・次になれる職種がない、施工管理、警備、工員くらい。

第二新卒自体某ナビの商法、踊らされてはいけない

・なりたい職種がある様子、私も3,4年勤めて転職をしたがそれくらい続けたなら転職は容易

 


エージェントは、有り体に言えば転職させてナンボだと思うのだが、その本人がそうまで思い留まらせようというからにはやはりそれだけの理由があるのだろう。そう考え、転職を辞める意思を伝えて退室した。

 


辞めたい理由は上で話した通りであるが、なるほどこうして書き起こしてみると思ったより瑣末な事に思えてくる。時間が解決してくれるのを待ちながら、1年目を乗り越えてみよう。

 

 

.......と、いうことを2ヶ月ほど前に書いて下書きに眠らせていた。幸いにも俺はまだ仕事を続けている。

実際、今現在俺は「転職したい」よりも「働きたくない」が第一になっているので、プロの目は確かだったようだ。

配属されて4ヶ月もすると、わずかに自分で解決できる問題も出来てくる。砂漠の中の枯れ井戸のようなものだけれど、そういうところにほんの少しの達成感を感じながら、とりあえず残り半年を過ごしてみようと思う。

広島旅行記 3日目 呉+江田島

3日目

無事台風が去り晴天。交通網や施設も通常通り動くようで安堵した。

広島駅のロッカーに大荷物を預け、0805広行きの電車に乗る。毎度こういうボックス席って基本的には不便じゃないか?と思ってしまうのだが、単にロングシートにしか触れ親しんでいないからだろうか。隣に座ったおっさんも一人旅をしているようで、一心不乱に呉の旅行雑誌を読みあさっていた。

さて大和ミュージアム入館すると、目の前に巨大な戦艦大和の模型が。卒論を旧日本軍で書いた俺はにやけが止まらなかった。基本的に俺は水族館やら博物館やらに行くと説明文をがっつり読み込むタイプなのだが、ここは特に真剣に読んでしまい、目安3時間のコースを4時間半かけて廻った。

こういうことを言うと時々勘違いされるが、近現代史ゼミ生≠軍オタなので正直展示されている兵器については「なんかの史料で読んだ」とか「艦これで見た」くらいの感想である。その中で特に目を引いたのが回天乗組員の遺書、坊ノ岬出撃前の遺書etcの一次資料であるが、これは俺の卒論がそういったところに深く触れている内容だったからであり、卒論を書く前にここを訪れておくべきだったと酷く後悔した。

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見学を終え退館すると、観艦巡りというツアーの客引きが。1300円で遊覧船から呉港に停泊している自衛隊艦艇を見学できるというので急遽参加することにした。

正直値段的にもそこまですごいものではないだろうと思っていたが、見くびっていた。停泊していたヘリ搭載護衛艦の″かが″などの自衛艦艇を間近で、しかも下からという中々珍しい視点からの観覧が出来た。建造中のタンカー、最新鋭の潜水艦にも接近してくれるなどかなりのコスパを誇るツアーだった。

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さて、江田島に渡るにはフェリーか高速船に乗らなくてはならない。見学のためには15時までに江田島術科学校に着く必要があるが、その近辺の便は14時着の高速船か1442着のフェリーである。切符売り場の案内板には42分着に乗れば間に合うと書いてあるが、調べると集合場所に着くのは58分……本当か?と訝しむも、「皆さんこれで行かれますよ」という日本人を服従させる言葉を言われたので、じゃあそうかとフェリーでいくことにした。が、待合室にいても観光客らしき人を見かけない。船内に明らかに同族が1人いるが、本当に間に合うのだろうか?不安である。なにせ昼飯を食べる時間を切ってまで行くのだから間に合いませんでしたでは済まされない。

 

……間に合わないじゃないか。厳密には間に合ったがバス停から走らなきゃ間に合わなかったぞ。15時に正門をくぐり、ギリギリで駆け込む羽目になった。もし行く方がこの記事を読んでいるのなら、14時着の高速船でいる島を渡ることをおすすめする。幸い島にはコンビニを始め店がたくさんあり、館内も展示物があるので時間は潰せるはずだ。

肝心の90分のツアーの内容だが、大変満足できるものだった。広報案内の方のガイドで進むのだがまぁ話がうまい。海軍兵学校時代の逸話から現代に至るまでの様々な話を聞かせてくれた。赤煉瓦の建物は明治期の建設当時から使い続けられている幹部候補生教育施設、白い御影石の建物は占領期にプロテスタントの教会としても使われた大講堂。赤煉瓦の建物は144mの廊下が伸びており、艦内生活を模したものだそうだ。また、教育参考館という施設内の見学では一礼と脱帽が義務付けられるなど″らしい″ところもあった。前知識があると尚面白いと思うので、ぜひ学術書の一つでも読んでから訪れてもらいたい。

余談だが、朝電車で隣に座っていたおっさんが偶々同じツアーに参加していた。この日の俺は若干目立つ格好をしていたので恐らく向こうも気付いていただろう、気まずい。

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さて1659発のバスで港に戻り、1715の広島行き高速艇に乗り込み帰路につく。地方の整理券を取るタイプのバスの乗り方が何度やっても覚えられない。早くICカード普及率100%になってほしいものだ。広島への高速艇は1060円。呉→江田島が390円(フェリー。高速艇は550円)なのを考えると高いが、距離もあるので仕方ない。広島港から広島駅までは路面電車で向かう。ここはPASMOが使えたので一安心である。どうでもいいが、路面電車のある道の走行ルールを完全に忘れたのでそういう地方でのレンタカーは絶対にできないなと思う。1819広島駅着。新幹線は56分なのでその間に夫婦アナゴ飯という駅弁を購入。人気No.2らしい。

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新幹線に乗り込み東京へ。京都以西の新幹線に乗ったのは初めてだ。ふと、久しぶりに「帰りたくないなぁ」と思っていることに気がつく。ここ最近の旅行は長期の海外ばかりだったので、正直「ようやく日本に帰れる」という思いも強く帰国が嫌ではなかったのだ。広島がとても良い街で、台風のせいで消化不良ということもあり尚の事そういう気持ちになったのだと思う。

2256、東京駅着。

広島旅行記 2日目 市内観光+台風

2日目

朝から台風直撃のはずだったのだが、私は相当な晴れ男なので午前中は曇りであった。この隙に徒歩圏内の観光地を見て回る。

9時頃宿を出て、広島護国神社に参拝してから広島城へ。そこまで城に興味関心があるわけでもないのに旅先にあれば行ってしまうのは日本史専攻の宿命か。ただこの広島城、はっきり言ってしょぼい。規模が小さいのは仕方ないとして、それを強引に博物館的城内にしたものだから展示品が少ない、知っている前提の省きすぎな説明という小田原城に匹敵するしょぼさであった(直球)

さて1時間ほどで退館し、そろそろ雨かと思いきや未だ降らず。交通網がストップしているので仕方なく再度原爆ドームへ行き、無料で入れる範囲だけ再見学した。原爆死没者追悼平和記念館にも立ち寄ったが、そこで東欧の方が声をあげて泣いていたのが印象的だ。慟哭とはああいう様子を言うのだろう。ここで丁度黙祷の時間を迎えたので黙祷を行う。毎年自宅でやるより余程気持ちが入ったと思う。

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その後、ようやく小雨がちらつき出した市内を、商店街目指して歩く。地方のまだ活気のある商店街が好きなのだが、台風の影響で終日営業を見合わせている店が多くどこにも入れない。あまりのやることのなさにゲームセンターで″広島勢″(私が好きなチュウニズムというアーケードゲーム広島県内でプレイすると獲得できる称号)を取ろうとするも、ゲームセンターすらやっていなかった。13時頃、丁度客引きをしていた若貴というお好み焼きの店に入り広島スペシャルとかいうものを食べた。昨日の夜のものよりボリュームも味も良かったのでなんだか損した気分になる。

店を出ると突然の豪雨。店も交通機関もやっていないなら何もやることはないので仕方なく宿に戻ることにした。地下街も百貨店も閉まっておりこの有様である。

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コンビニで宴会の準備を整え、明日の計画を立てつつ就寝。買いすぎた。

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広島旅行記 1日目 厳島神社+市内観光

8/14〜16の2泊3日で広島に一人旅をしたので、それを書き留める。


1日目

例に違わず自宅の近くから羽田へのリムジンが出ているので、早朝の便に乗車。7時過ぎに到着予定だが、飛行機は0920。国内線なのに早すぎるが、これには訳があるのだ。

道が空いており、0640に羽田第二ターミナル着。せっかくめちゃくちゃ早めに着いたので、喜び勇んで人生初の空港ラウンジを利用した。敢えて早めのバスを取ったのはこれが理由。一度でいいから入ってみたかったのだが複数人で旅行するとなると中々入りにくいので、今回の一人旅で利用すると決めていたのだ。

中々良い。ソフトドリンク、クロワッサン、コンセントが自由に使えて座席間も広い。ただ利用料金(1400円)の価値があるかと言われると若干首を傾げたくなる。特典等、無料で利用できる人は使ってみてほしい。

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7時前に入った時は席も随分空いていたが、ふと気がつくと入り口に待機列が出来ていた。入る時は「新卒一年目の若造が浮きやしないか」と思っていたが、普通の家族連れやスポーツ紙を広げるおっさんもいたのでそんなことはなかった。冷静に考えてみれば1400円くらいで省ける客層は高が知れているし、そんな客層はそもそも空港を利用しない(強すぎる偏見)ような気もする。

ボーディングが遅れて0920発が0930発に。これはイキりだが、直近で乗った飛行機は11回全て国際線だったので、機内で日本語が通じることに若干の感動を抱いた。俺は航空機内で必ず流れる、機内マナーや緊急時の対応を説明する映像を見るのが好きなのだが、今回は舞妓さんと歌舞伎役者が出演するもので中々良かった。

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1045広島着。台風がすぐそこまできているせいか乱気流に巻き込まれて気持ち悪くなった。

広島空港から広島駅までリムジンバス。1340円。事前情報だと関東圏の交通系ICカードは使えないとあったので切符を買ったが、どうやら普通に使えるらしい。

広島駅から1215発岩国行きの電車(4両編成)に乗る。車内は外国人観光客がかなり目立ち相当混雑していた。

1250、宮島口港着。大雨。傘が10秒で壊れて萎える。

ここからフェリーに乗り宮島に渡るが、この時期は鳥居に接近する航路を取るようで楽しみだ。ちなみにこのフェリーもPASMOで乗れた。

 


フェリー船内放送「現在、大鳥居は修復工事を行っており周囲に骨組みが〜」

 


はい。

大雨、工事中、蒸し風呂のようなうだる暑さ。それを意に介さず我が物顔の鹿。ふらふらになりながら大鳥居周辺を散策した。道中見かけた、日ハムのホームユニを着た小学生が異端審問にかけられないよう願う。

14時頃昼食。鯛釜飯を頂き、紅葉屋本店で揚げもみじ饅頭(瀬戸内レモン)を食べた。ほのかな酸っぱさが残るクリームと揚げたての衣がとても美味しかった。

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思ったより(雨でロープウェイが止まっていたこともあり)見所がなくなってしまったので、予定より2時間早く切り上げて広島市内に戻る。翌15日は台風が直撃する予報なので、見れるなら今日中に市内観光を済ませておきたいのだ。

 


宮島口から広島に戻る電車の車内放送「15日は鉄道の運行を全面見合わせることになりました」

 


はい。

本格的に15日はホテルに閉じこもる一日になりそうなので、何としても今日中に原爆ドームくらいは行く必要が生じた。

さて15時頃に広島駅に着くと、なんと雲が切れ青空が垣間見えるほどの天候。ホテルにチェックインして荷物を置き原爆ドームと平和記念館に行くと、やはり国内外から多くの方が集まっていた。半年前まで日本史学を専攻していたとはいえ、私が記念館の内容について語るのはあまりにおこがましいので書かないが、とても他所ではやらない(やれない)だろう戦争の悲惨さを生々しく伝えていた。つい、それらの展示を食い入るように眺めてしまい気付けば19時。いい加減夕飯を食べてホテルにこもらなくては大雨に襲われてしまう…のだが、未だ雨が降っていない。余裕をぶっこいた私はふと、SOGOの中にポケモンセンターヒロシマの看板を発見、一ポケモンファンとして足を運んだ。広島東洋カープにちなんだコイキングと赤いギャラドスのグッズが売られていた。

ホテルに戻る道すがら、鉄ぱん屋弁兵衛という店で夕飯。居酒屋だったのでお通しが出るのだが、それがお好み焼きのめっちゃちっちゃいやつで甚だ驚いた。どういう文化なんだ。

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さて無事、曇天の道を雨に怯えながらも歩き宿に到着。人生初のカプセルホテル。どうかと思っていたが秘密基地のような感があり中々どうして楽しいもので、下のコンビニで酒とつまみを揃えれば我が領土に早変わりである。

どうでもいいが、狭いエレベーターに乗り合わせた外国人と同じ階で降りる時先を譲ったところ「どうぞ」ってめっちゃ日本語で言われ、俺はなぜか「サンキュー(精一杯の発音)」で返してしまって死ぬほど恥ずかしかった。明日は少しでも活動できることを願い就寝。

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野球

私のブログを読んで下さっている方は9割方知り合いだと思うので今更いう必要もないかもしれないが、私は野球観戦が好きだ。この記事も野球中継を見ながら書いている。と言っても、生粋の野球好きなのかと言えばそうではなく、どちらかと言えばサッカー派だった。それがどうして野球派になったのか、辺りの話を書いてみる。

物心付いたころから水泳をやり、中学でバスケをしたが高校ではまた水泳。当時野球に触れ合う機会は、体育の時間にやるくらいのものだった。運動神経が悪い人ならわかってくれるかもしれないが、体育の時間の野球は「攻撃は暇だし、守備もボールが来なければ暇」という認識だったのできわめて退屈だったから、当然好きになるはずもない。テレビ中継も、当時はなでしこジャパンだのなんだのとサッカー日本代表の試合が中継されることが多かったので、そういう環境が私をサッカー派にしたのだろう。

そのまま大学生になり、2年生になった2016年10月27日。誰も見ていないテレビにたまたま映っていたのは広島対日ハムの日本シリーズ第5戦の中継。私の耳に実況の叫び声が飛び込んできた。

「ライトへ!ライトへ!ライトへ!ライトへ!ライトへ!ライトへ!満塁!ホームラン!」

1-1で迎えた9回裏2アウト満塁から放たれたサヨナラ満塁ホームランが、私の目を釘付けにした。一切興味のなかった野球が突然輝きだしたのはそれからだ。

余談だが、この翌々日に日ハムは日本一になったことに対して「ワイ昨日からハムファンやけど、推しのチームが優勝とか初めてで感動するわ」的なコピペが存在するが、断じて私の書き込みではない。

試合のある日は一球速報を眺め、試合後のニュースサイト巡回をする。これが習慣になって2年が経った。満員電車に揺られながら野球の記事を読み漁り、結果に一喜一憂する。一昔前の典型的社会人風だが、野球を見るようになって自分の知る世界が広がった気がする。同じ野球ファンの友人との話題にもなり、暇つぶしにもなる。スポーツ観戦といえば日本代表をなんとなく応援するくらいだったので、どこか特定のチームを応援するということはなかった。2019シーズンも中盤戦に差し掛かり、現在日ハムは2位。3年振りの優勝に向けて、これからも驀進してほしい。

 

追記、2019シーズン順位予想。

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追追記

結果は猫鷹鷲ロ公檻。来年は頑張れ。

 

 

 

”オタク的会話”

今の同期とする会話と大学の友人たちとする会話で明らかに違う点がある、と感じている。どっちが楽しくてどっちが居心地がいいとかそういう話ではなく、その原因は話題の本筋だと思う。

私が文学部で日本史を専攻していたから……というのもあり、私の周囲にはいわゆる”オタク”が多い。ゲーム、アニメ、歴史、鉄道etc...ジャンルは問わず様々な種類のオタクに関わってきた。オタクの会話というとどうイメージされるだろう。敢えて批判的な表現をすれば「自分の好きなことを延々語る」「相手の興味如何に関わらず知識を話す」「本筋から外れた話題に広がっていく」このあたりがオタク的会話の特徴だと考えている。社会的には”喋るコミュ障”に分類されるタイプだろう。俺も多分このタイプだろう。

 

ところで、暇なときにwikipediaを眺める人間があまりいないことを最近知って驚いた。例えば、ふと頭に浮かんできた世界史やら宇宙やらの用語を調べてみたりとか。それが頭に定着するかはさておき、そういうことをして知的好奇心(なんていうと高尚な言い回しだが)を満たすことをする。今までの友人にはそういう人が結構いたから、わりとメジャーな暇の潰し方かと思っていたがそうでもないらしい。wikipediaのリンク飛びまくったりとか、楽しいのにね。で、そうしていると、ある程度は雑学的な話が身に付いてくる。クイズ番組やら、雑学番組やらを見ていても「ああ聞いたことあるな、それは知ってるな」という感想になりやすいので、たぶん俺は雑学を知っている部類なんだと思う。その要因はwikipediaだけではない。最初に言った通り、オタクとのオタク的会話は知識的な話になりやすい。「本筋から外れた話題に広がっていく」ところとか、特にwikipediaのリンクを飛び回っていく様にそっくりだ。オタク的会話はwikipedia的会話と呼んでいい。

 

ところが、今の会社の同期たちは、悲しいかなそうした会話をしてくれない。

具体的な会話例を出す。

例えば「白川郷に泊まったことがある」と話した時。今までの友達なら「岐阜にあって、積雪が落ちるように合掌造りになってて、世界遺産で」みたいな前提知識の上で会話が始まっていたから、お互いにイメージを共有して話せていた。それに相手も関心を持って聞いてくれていたし、そういうタイプの人に囲まれていたから話がしやすかった。それが今だと「なんか学校で聞いたことあるね」くらいの認識しかされていないから、話が進まないし向こうも面白くなさそうで盛り上がらない。

雑談だけではない。今の研修では毎朝順番でプレゼンをする。内容はその人の自由なので色んなジャンルの話を聞くことが出来るので毎朝ちょっとした楽しみにしている。ある日はミドリムシの鞭毛について、ある日は自動プログラミング技術について、ある日は嘘をつくことの心理学的知見、など本当に日替わりで知らないことを聞ける。だから、スピーチの後の質問時間では毎回挙手して質問している。しかし、同じように挙手する人は驚くほど少ない。決まった顔ぶれが3,4人挙げているだけだ。手を挙げない同期に言わせれば「むしろなんで聞いてるの?笑」……いや面白いからだけど…。

 

はじめのうちはなんとなく「会話の感覚が今までと違うな」程度の間隔だった。その違和感がwikipedia的会話にあることになんとなく気が付き、それを大学の友人にこぼしたところ「そういう話題になるのはオタクの会話だけだよ」と言われた。それを踏まえた上で考えたことを今回書き留めているわけで、ここ二回の記事で書いた同期に対する愚痴的なものでは一切ない。ただ、俺は同期が大学で研究した内容を語ってくれたら喜んで聞くし、なんならお互いに卒論プレゼンでもしてみたい。そこまではさすがにありえないにせよ、大学でなにを勉強したのかの会話はするものだと思っていたのでそれが悲しい。

ただ周りに恵まれていただけと言われればそうかもしれないが、たまにはそういう会話をしたい。そんな悲しみに包まれながら、適応していくことを学んでいる。