9号車乗り場

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旅行記やら日記やら

クリスマス

 「サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかというとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。」谷川流涼宮ハルヒの憂鬱』(2003年)5頁。

 

 俺がサンタクロースをいつまで信じていたか、可能な限り正確に答えるならば中学2年12月末だ。毎年ツリーを飾り、サンタへの手紙とお菓子を供え、25日の朝を楽しみに迎えるのが、幼少(幼少期は過ぎているが)の俺の毎年の楽しみだった。「サンタなんていないよ」という周囲の声に耳を貸さず盲目的信心的に、13回ものクリスマスを楽しみにしていたのである。一度サンタから手紙が送られてきたこともあったから(今思うとそういうサービスが当時からあったのだろうが)、俺は想像上の赤服じーさんの存在を疑うことなどなかった。

 

 忘れもしない(日付は忘れたが)2010年12月、ビックカメラ新宿西口店のゲーム売り場に俺を連れていく母親が俺に放った一言。

 「サンタさんがパパとママなんてわかってるでしょ?」

 そういう意見が同級生の中で出回っているのは知っていたが、しかしそれでもサンタの存在を信じていた俺は、トドメの一撃のショックを押し殺しながら”サンタからのクリスマスプレゼント”を買ってもらった覚えがある(たしかPSPのバスケットボールのゲームだった)。あのときの衝撃は、まさに二・二六事件で「下士官兵ニ告グ」のビラを受け取った陸軍兵の驚きに匹敵するものだったと自負している。

 

 11歳になったらフクロウ便が届くと本気で信じていた。どこかでヤマネに追われながら登山をするトガリネズミがいると信じていた。ポケモンはどこかに実在すると信じていた。夜中にワゴン車に乗って過去を遡ると信じていた。高速道路の非常階段を下りて妙な世界に行けると信じていた。

 正直、今でもそんなことがもしかしたらどこかで起きているのかもしれない、イギリスのどこかに漏れ鍋やらホグワーツやらがあるかもしれない(キングズ・クロス駅しかなかったけれど)、もっといえば、いつかホグワーツでマグル学の教員として招聘されるかもしれない、なんてことを思ったりもする。

 

 高校入学前のキョンが言うところの「いるワケねー…でもちょっとはいて欲しい、みたいな最大公約数的なこと考えるくらいにまで俺も成長したのさ」の段階に、社会人になってようやく辿り着いたのかもしれない。(キョンは明らかに大人びている描写があるので比較対象にはふさわしくないとしても)俺は相当童心が残っているほうなのだろう。だから塾講のバイトをしていたときは相当懐かれていたのだが。

 

 

 さんたさんへ

 ぼくは こんなに、じこぶんせきができる かしこいこ です。

 なにかしらの プレゼントが あってもいいんじゃないかな と

 ぼくはおもいます。

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