9号車乗り場

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旅行記やら日記やら

入社して一か月が経ったことへの感想文

1.5か月ほど前、私はこんな記事を書いた。

 

wwgogo.hatenablog.com

 冒頭から「なんとかやっていけそうな気配ではある。」なんて舐め切ったことを言っているが、今回はそれから一か月と少し経った時点での感想でも書こうと思う。

 

さて私はあんな記事を書いた一週間後に体調を崩した。風邪とかそういうのではなく単純に体力が持たなかった。スーツという拘束具を着て満員電車に乗り込み、8時間窓のない部屋で鮨詰めにされ、家に帰ってすぐに寝る、翌日も朝早く満員電車に飲みこまれる……そんな生活に突然身を投じたせいで、ぬるま湯の大学生活から社会人の冷や水を浴びて身体が驚いてしまったのだろう。ただそんな冷や水にも四月が終わるころにはだんだんと体が慣れてきて、いっそ満員電車の圧迫感が気持ちよく感じるようになってきた。GW明けが怖かったが、思ったより社会人の楔は堅いらしく特に問題なく社会復帰できた。不慣れなプログラミングにもなんとなくコツと感覚をつかんできて、さてこれからも研修頑張るぞ…といった具合で現在に至る。

今現在の不満は同期の仲が良すぎることだ。そりゃ華金に飲みに行こうとか、一緒に昼を食べに行こうとかそのくらいなら大歓迎だ。ただ、じゃあ例えば休日に遊びに行こうとかそういうのは私は面倒くさい。なんで疲れ果てている休日に会社の人間に会わなきゃならん、嫌でも五日間会うんだからそれでいいだろうと思う。大学の友人と会うなら喜んで休日でも飛んでいったのに何が違うのかはまだわからないけれど、しばらくは仲が悪いよりかは良いという認識で行きたい。

入社して一週間が経ったことへの感想文

2019年4月1日、私はとある中小IT企業に就職した。なんで文学部卒なのにIT?とかその辺の話は別記事にちらりと書いたのでそちらを参照していただくとして、今回は早くも一週間が経過した新人研修への回顧と展望を記事にした。

 

結論から言うと、まあなんとかやっていけそうな気配ではある。

 

4月2日、私は都心某所で行われる外部新人研修会場に向かった。Twitterまとめサイトの徘徊を怠らない模範的大学生だった私が”新人研修”に抱いていたイメージは「電波の届かない山奥で、毎朝6時から感謝と謝罪の言葉を怒鳴りながら穴を掘っては埋める」だったのでこんな都心でなにをやるのか普通に疑問に思った。

教室に入ると、グループごとに区切られている席に座らされる。机の上のテキストを開くと、挨拶の方法、名刺交換、電話応対などの社会人に必要なマナー的な内容が書き連なっていた。変なところで反骨精神旺盛な私はマナーだのの類を習うことが嫌いなので正直うんざりした。

さて開始早々、講師から「なにか問いかけたら必ず返事をすること、挙手を求めたら必ず挙手すること。」と指導された。前者はともかく後者は意味ないのでは…?とますます疑念を抱いたが怒られたくないのでまあ取りあえず従う。皆そんな感じなのかそこまで積極的でないにせよ形だけでも挙げておこう、という空気が教室に流れていると「数年前ならここで雷を墜としてたかもしれませんが昨今の事情を鑑みてそんなことはしません。」的なことを言われた。単純な私はこれを聞いて、ああその辺ちゃんとしてる講師なんだなぁと安心して警戒を解いたのだが、今度は受講生側にハラハラさせられた。「社会には変なのがごまんといる」なんてよく親から言われていたから、まあ変なのがいるんだろうとはわかっていたがその予想の遥か上を行く変なのがいた。

 

・指導中にバト鉛転がすやつ

聞くと「だって暇じゃないすか~」と返された。どういうことだ。

・講師に親指立てるやつ

「いやずっと誰にでもやってたんで」それでいいのか。さんざん学生気分を捨てろと言われてるだろう。

・グループ実習をひとりでやるやつ

「こういうの一人でやった方が早いんですよね」そういう問題じゃないし今までグループワークやったことはないのか?

 

全部を挙げることはしないが、もしかして自分は大分真っ当で優秀なのでは?と勘違いしかけるほど変な人間を見かけた。そしてこれまで関わってきた人がどれほどまともな人間ばかりだったのかと今までの幸運に感謝した(誇張表現)。実際こういうのも含めて社会勉強なのだろうがとはいえキツイものはキツイ。

とはいえ2か月の研修期間でたくさん他社の人と話した方が良いと先輩社員に言われているし、大体の人が一定の意識を持って取り組んでいるからここまで良い研修期間を過ごせている。学生時代より疲れはするが規則正しい生活が(強制的に)送れているし、日曜日にこうしてブログを書くくらいは生気もある。毎日満員電車に揺られ、ソシャゲのイベント完走すらできない生活は確かに辛いので、とりあえずは生きる気力を失わないようにのらりくらりと過ごしたい。

 

4/9追記

前言撤回。あまりにキツすぎて9時間寝た。

ヨーロッパ周遊+αの旅⑩ イタリア編2~帰国

 卒業旅行16日目

最終日。フライトが19:50なので15時頃までローマ市内観光を続ける。今日は8時にチェックアウトしてローマ最大の駅テルミニ駅に荷物を預けて真実の口、コロッセオやカラカラ浴場を見に行く。真実の口に相当並ぶと思っていたが朝早かったこともあり10分くらいで写真を撮ることができた。見張り役のおじさんがとてもノリの良い人で、私が口に手を入れた瞬間大声で驚かしてきたり全員の集合写真を自分から撮ってくれたりと親切にしてくれた。真実の口はマンホールの蓋だった説が有力らしいが、なぜそんなものが教会に祀られるようになったのだろう。

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コロッセオに入るためのチケットを買いに行く。コロッセオ入場券は周辺の関連遺産のそれと共用なのでコロッセオ以外で買ったほうが良いと情報を入手していたのでそうしたが、結局ものすごい行列に並ぶことになった。荷物検査のおじさんが行列ができているのに自分たちに「エジプト行ってきたのか!」とか話しかけてくるものだから困った。苦労して手に入れたチケットを手にコロッセオに向かうと、今度は案内のお姉さんにそのチケットでは1410までは入れないと言われる。コロッセオのチケットは裏面に入場可能時間が書かれていて、その時間にならないと入れないようだというのを現地で知ることになった。

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そこでコロッセオに入るのは諦めて、テルマエロマエで有名になった近場のカラカラ浴場に行くことに。浴場は当然もう水は張られていないから名前通りカラカラなのだが、日本人観光客もちらほらいてこの辺一帯の観光客人気を感じる。2000年前にこれだけ立派な大衆浴場を作れる古代ローマの技術と思考にびっくりする。

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最後の食事が空港飯は味気ないので、早めに観光を切り上げて昼飯を食べるためSANTIというテルミニ駅近くのレストランに行った。ペペロンチーノが€8だかで食べれるとても安いけれど美味しい店で、メニューがイタリア語と妙な日本語だけ。大瓶ビール4本を昼間から飲む日本人は彼らの目にどう映ったのだろう。アメックスが使えると書いてあるのに使えなかったり、VISAで払おうとしたら店員のおじいちゃんがカードリーダーの使い方を理解しておらず、若い店員と喧嘩を始める事件があったけれどいい店だった。

送迎タクシーの待ち合わせ場所に向かう途中の街角でようやくジェラートを食べることに成功。チョコミントを歯磨き粉味とか言いやがる奴は許さん。

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17時頃空港着。お土産を物色しつつ19:50の飛行機に乗る。ボーイング787の最新機体だった。帰りも中国国際航空なので北京乗り換えだが、実際途中で降りれた方が休憩になって私は好きだ。なんと5人全員席がバラバラの席で、ヨーロッパ人夫婦に挟まれた席になってしまったが一体どういう並べ方をしたらそうなるんだろう。この夫婦がトイレに立つタイミングで同時に立とうとしたのに結局10時間一度も立ってくれなくて結構辛かった。

普通機内食を出されるときは”beef or chickin?”とか聞かれると思うし、こちらもそう構えていたのに”Chinese or Western?”と聞かれて意表を突かれたしまった。

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北京国際空港で2時間ほど待機。この国はGoogleツイッターも使えないのでやることがなさすぎる。寝たら飛行機を逃す予感がしたので気合いで起き続けて15:15に搭乗。ローマ→北京間と打って変わって昔の機体でシートモニターが時代を感じさせてくれる。機内食が出されたが、まだ食べ終わってないのに勝手に下げられて困惑した。確認を取ってほしい。おまけにCAが中国語で話しかけてくるので全くわからず、英語で返してもどうも理解してくれていないようだった(理解できないはずないので私の発音が変だった可能性が高い)。

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結局21時頃羽田空港に到着。中々荷物が出てこなくてロスバゲを疑ったが最後の最後にまとめて出てきてくれた。リムジンバスが最寄り駅まで出ているのでチケットカウンターに行くと当然のことながら日本語が通じることに少し感動した。

帰宅後、荷ほどきをするとスコッチがないことが判明。北京空港で引っかかったのだろうけど心底悔しい思いをした。

 

 

 

6月9日、追記

割れないようにウルトラライトダウンに包んでいたスコッチを見つけた。北京空港の税関に謹んでお詫び申し上げます。

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ヨーロッパ周遊+αの旅⑨ イタリア編1

卒業旅行14日目

カイロからローマに向かう。

5:30起床。6:30からホテルのタクシーで空港まで送ってもらう。本当は6:30起床の予定だったが、休日で道が大変混むというので1時間早めてもらった。

カイロ国際空港はさすがアフリカの玄関口だけあって免税店やレストランが充実していた、なのになぜかバーガーキングに入った。エジプトでは生野菜は食べないと決めていたのについうっかりバーガーの生野菜を食べてしまったのでイタリアでお腹が痛くならないか不安だ。

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免税店でばら撒き用のお土産を買おうと思ったがエジプトらしいお土産はどれもイマイチ美味しそうではなかったのでピラミッド型のチョコを買うだけにした。ここでもステッカーは売っていなかったのが残念だ。店員のイケメンのおっさんに「ハロー你好こんにちは」と対アジア人挨拶フルコンボをされて面白かった。

10:10発の飛行機なので油断していたがなぜがボーディング開始が9時だったので慌ててゲートに向かう。なんでそんなに早いのかというと搭乗直前に本格的な持ち物検査があるからだった。なら最初からちゃんと荷物検査をしてほしい。14時頃ローマ着。一回の旅行で二回ヨーロッパに入る旅程も珍しい。ルクソールからの飛行機で出たおいしいケーキがまた出されたので嬉しかった。

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空港からホテルへの道を探してふらふらしていると、タクシーの運転手に話しかけられた。エジプトに慣れていたので丁寧に「宿まで直接€15で行ける、チップは要らない」などなど明朗会計を受けて安心した。

宿前に着くと普通のマンション。普通のホテルではなくairBを選んだのでオーナーが来ていなかったので鍵がかかっていて中に入れなかった。正直かなり疲れていて早く部屋に入りたかったので堪えたが、30分ほど待ったらバイクで颯爽と現れた。彼の英語はとてもわかりやすく、まるで教科書の登場人物のような英語だった。その上、観光上の注意やおすすめのスポットなど諸々説明してくれて宿の設備も(エジプトと比較してしまう補正もあり)とても良いものだったので彼とイタリアへの好感度が一気に跳ね上がった。イタリアは完全にノープランなので彼のくれたマップを元に明日以降の予定を組み立て、18時頃夕飯を買いに外出。

正直この宿の周辺はあまり治安の良さそうなところではないので不安だったが、タクシー運転手が教えてくれたBONCIというピザ屋へ行く。ピザの量り売りをしている店で非常に有名らしく、実際店前には人混みができていた。この店は買い方が難しかった。まず入り口の整理券を取る。→上の液晶に番号が表示されているので、自分の番号になるまでに何を買うか決めておく。→番号になったら店員に「どれをどのくらい(何切れ)買うか」伝える(指差しと英語で通じる)→量りの横のレジで精算。という流れ。大勢がショーケースの前にごった返しているので、予備知識なしの我々はどこが列なのか全くわからず右往左往してしまったのでもし、これを読んだ方が行くことがあれば参考にしてほしい。とても美味しいピザだった。

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今晩の夕食はピザと帰りに買ったソーセージ、ビール、ワイン、生ハム。イタリアらしいものを取り揃えた。なぜかオーブンを使うなど食材に手を加えるのが私の仕事になっているからピザを焼いた。旅行中2度もピザを焼く人がいるか?

明日は6:30起きだというのに、寝る前になんだかんだと話していたら午前2時頃になっていたらしい。最後の方はうつらうつらしていたので何を話したかすらよく覚えていないけれど明日に響かないように願った。

 

卒業旅行15日目

2週間を超えた。今日は7:30に家を出てバチカン市国→トレビの泉周辺の観光をする。バチカン美術館には有名なアテネの学堂やシスティーナ礼拝堂天井画などがあるのでローマに来たら行きたいと思っていたが、ここまでの旅行で手一杯で予約をしていなかったので9時開館の前に並ばなくてはいけない。

列に並ぼうとすると外国人から「予約はしてあるのか?してないなら俺たちのオフィスに来て優先券を買え、並ばないで入れるから」と話しかけられるが、どうせ転売か詐欺なので全てパス。この時間に並べばそんなかかることはない。優先列の様子を見に行った情報によると自分らの列より伸びていたとかいないとかなので正解だった。実際5分ほどでチケット購入までできた。さて中は、正直そこまで彫刻とかに興味があるわけではないのでなんとも言いにくい。ただ天井画や壁一面の壁画を眺めているだけで圧倒されるし、多少はキリストとかその辺の話を知っているから絵が伝えたいこともなんとなくわかる。洗礼を受けたわけでもないのになぜか心が綺麗になった気になるのは日本人的だと思う。バチカンと言われて思い浮かべる広場にも行った。

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昼食はバチカンの近くにあったsatiricusというイタリア料理店で食べた。本場のフェットチーネを食べてその食感(と巻きやすさ)に大ハマりしてしまった。

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食後は散歩しつつトレビの泉に向かう途中、パンテノンやスペイン広場などがあるのでそこを回る。ローマの休日は以前一度だけ見たことがあるので実際に行けると思うと楽しみだったが、階段でジェラートを食べることが禁止されていることや別に自分が真似したところでどうにもならないことを思って悲しくなった。散歩中、レストランの前を通ると毎回しつこい客引きに合う。「もう昼飯は食べた。」と言っても「じゃあ名刺渡すから夕飯食いに来てくれ。」と続くので商魂たくましいのかと思いきや、調べたところおしゃべり好きな国民性なだけということだ。

さてスペイン広場を実際見ると確かに綺麗な噴水に白い階段と街並みで良い場所だったがそこまで特徴的な広場でもなく、いわゆるがっかり観光地だった。噴水の水を飲んでいる人が多かったのは衝撃的だ。

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トレビの泉はやはり大勢の観光客がいてみんなコインを投げ込んでいた。¢50コインを投げ込んでいる横で友人が5円玉を投げ込んでいた。お賽銭じゃないんだから。

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もう少し見所を回る予定だったが、全員の体力が限界を迎えたので地下鉄で宿に戻る。全員がベッドに倒れこんで動けなくなったが夕飯を食べに行かないといけないので、夜食の買い出しも兼ねて宿近くのspaghettiという直球ネームのパスタ屋に行きここでもシーフードのフェットチーネを食べた。宿近くで美味しくて雰囲気のある店というみんなの要望に合わせて探した店だったので満足してもらえて嬉しい。

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スーパーではビールとワイン、生ハム、渦巻きソーセージを買ったが、結局ビールを飲む前に全員力尽きて寝てしまった。

 

ヨーロッパ周遊+αの旅⑧ エジプト編4

卒業旅行13日目

7時起床。7:10に起こしにいったらうるせぇといわれたので静かにする。食堂で朝食を食べに行くと、今日のピラミッドツアーの日本語ガイドが集合30分前から来て話しかけてきた。ルクソールは2時間遅れたりこっちでは30分早かったりなんなんだ。ちなみに朝食にトーストを頼んだらレンチンした熱々の食パンが出てきたのだがあれは何だったのだろう。

大型のバンに乗り込みツアー開始。ピラミッド→太陽の船博物館→ラクダ乗り→スフィンクス→香水店→パピルス展示→昼食→エジプト考古博物館→ナイル川クルーズの1日ツアーだ。流石にこの時間英語はきついので日本語ガイドを申し込めて良かった。

ピラミッドまでの道中、彼が若干不自由な日本語でエジプト情勢を教えてくれる。「エジプトの大統領は軍人出身だから全員厳しくて若者は嫌いだ、若者は自由を求めている」「この国の警察は仕事しないし賄賂も受け取るから良くない」「日本の援助で大学や博物館を建てられてるからこの国の人は日本が好き」など日本上げもしてくれた。

ピラミッドに着くとさすがに観光客でごった返していてゲートも行列だったが、ガイドが受付の警察に金を握らせて別の入り口を開けさせてすんなり入場することができた。嘘だろ。

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追加料金を払い一番大きいクフ王のピラミッドの中に入る。前屈みになり細く急な坂道を登っていく。写真でしか見たことのない大回廊、王の間を実際に見ることになるとは思わなかったし最奥に辿り着いた時は「ついに来たぞ」と感動した。大回廊ではどこかの調査隊が機械を操作していたり、各所の照明にNAGOYA universityと書かれていたのが印象的だった。帰り道洞窟の天井に頭を打って抑えていたら外国人のおばちゃんにすごい心配された。内部の急勾配を登っていると、日本人の老人ツアーとすれ違った。あの年でピラミッドに来るバイタルのある老人にならなってもいい。

ピラミッドの後は太陽の船という、ファラオが死後の旅路で乗る巨大な船を見にいった。発掘された本物が丸々展示されており、5500年前に作られた事実と、それが今まで完璧な形で残ったことに驚いた。窓からピラミッドの上で寝ている野良犬を見て「生きてるのか死んでるのかわからないけどあの犬はずっとあそこで寝てます」みたいなことを言われた。贅沢な寝床だ。

太陽の船を出るとラクダに乗る。エジプトに来たからにはこれに乗らざるを得ない。5頭が連なり砂漠の中を進むルートだ。はっきりいうとラクダは馬のような、乗る生き物ではないと思った。乗っているラクダが立ち上がると落とされるかと思うほど前につんのめり、段差を超えるたび物凄い揺れが起きる。ラクダの上で自撮りでもしようと思っていたがスマホを落としかねないので出す勇気が出なかった。ただ牽引したおじさんが取ってくれた写真はthe エジプト感満載だったので乗る機会があれば是非乗っていただきたい。ちなみにこのじじいに20$盗られたのだが、チップを払うなというガイドの注意をちゃんと聞いていなかったこちらも悪いので教訓としたい。

この写真で着ているのは大英博物館で買ったロゼッタストーンTシャツ。明らかにエジプトに喧嘩を売っている。

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次はスフィンクスへ。ピラミッドの前にスフィンクスが座っている姿は何べんも写真で見たけれど実際に見るとその迫力に圧倒される。ガイドのアドバイススフィンクスとキスしているように見える写真を撮った。なんで男のキス顔を撮ったんだ。また、エジプトの考古学の授業で教授が「スフィンクスの目線の先にはケンタッキーとピザハットがある」って笑いを取っていたのをふと思い出して慌てて確認したら本当にあった。特にこの件は私にとって衝撃的で、そもそもピラミッドやスフィンクスは砂漠のど真ん中にあるというイメージだったからその話を聞いた時も、おそらく遥か地平線上にケンタッキーの建物があるくらいだろうと思っていたのだ。だからスフィンクスと道を挟んで向かいにあるそれらを見て、百聞は一見に如かずとはこのことだ。

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次にアリババという香水店へ。なんとここの店主は日本に20年住んでいたという日本語ぺらぺらの人で、日本人向けのツアーによく組み込まれる店だという。その為、商品の価格が明記されていたり案内が日本語だったり日本円が使えたりととても居心地のいい店だった。私は香水なんてつけたこともなかったのであまり興味はなかったが、彼の香水プレゼンを聞いたり実際に嗅いだりしているうちにせっかくだから何か買おうとなり、エジプトオリジナルだというlotus(古代エジプトの聖なる植物の蓮)とNefertiti(ツタンカーメンの母の名)という香水を買ってしまった。アルコールが入っていない高級品だというので、社会人になることだしつけてみることにしようと思う。

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さて、彼の香水プレゼンが恐ろしく長かった(そのお陰で香水を買ったのだが)ので2時間押しになってしまった。そこで予定されていたナイル川ほとりでの昼食を諦めガイドに現地のサンドウィッチ店で買ってきてもらうことに。それで作り出した時間でパピルス展示を見に行くとまさかの日本語でパピルスの作り方を説明された。何か買おうかと思ったのだが手製なのもあって思ったより高額で諦めてしまった。

さてサンドウィッチを食べながらエジプト博物館へ向かう。入り口で持ち物検査があるが相変わらずの適当さだ。ミイラ室に入る追加料を払おうとしたらガイドに「入らなくてもミイラは観れるからオススメしない」と言われた。中に入るとラメセス2世やネフェルタリなど有名な人々の像、装飾品、そしてツタンカーメンの黄金のマスクなどエジプトに来たら一度は見たい展示がたくさんあり1日かけて回りたい程の規模だった。動物のミイラ展示室の入り口にナイルワニのミイラがあり、「あ、ワニだ」と言ったら「oh,crocodile」と同じ反応をしている外国人がいて面白かった。他にもガイドが「古代エジプトの女性は強かった、どのくらいかというと今私が住んでいる中国の女性並みに強い。中国だと時々男に平手打ちしている女性を見かけるんだ」みたいなことを言ってきたのには笑った。

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本来の予定ではこの辺りで解散の時間だったが、まだナイル川クルーズが残っている。いくつかある船乗り場からヨットのような小型の帆船に乗り川を揺られる。水はお世辞にも綺麗ではないけれど川沿いに建てられたリゾートホテルや道行く人の姿を見ていると日本とは違う非日常感をたっぷり味わえた。

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本来の2時間遅れでホテルに到着。そこで解散と思いきやまさか明日のホテルから空港までのタクシーの手配までしてくれて本当に優しい方だった。

夕食を食べに昨日と同じエリアへ。エジプトポンドを作りたくなかったので、入り口でカード払いできる店を聞いたところ1箇所だけあったのでその店に行く。carpaccioという色々な国の料理を扱っている店で、ナイル川を眺めながら食事ができるおしゃれなところだった。シャトーフィレのコースが140エジプトポンド(約900円)など物価が非常に安いので、コース5人前にビール9杯を飲んで会計が1600エジプトポンド(1万円弱)程だった。素晴らしい。昨日の店とは大違いだ。サッカラビールというエジプトの地ビール的なものがあるのだがこの店にもなく、結局一度も飲めなかったのが残念だ。

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あまりに疲れ切っていたのでそのままソファで寝てしまった。寝てる間に布団をかけてくれた人に感謝。

余談だが、クフ王のピラミッドの断面図は大体の人が把握しているものだと思っていたがそんなことはないようだ。滅多に役に立たないけれど、Wikipediaで学ぶ世界史は面白い。

ヨーロッパ周遊+αの旅⑦ エジプト編3

卒業旅行12日目

8時起床。今日はこのルクソールから抜け出しカイロに飛ぶ。初めは電車で移動する計画だったがエジプト鉄道のチケットを外国人が取るのは至難の技だったので断念した。断念してよかった。

8時起きなのにみんな眠そうだし私も疲れているあたり、昨日のツアーがかなりきている。いい天気だったのでテラスに出て眼を覚ます。朝食を食べ終わると同時に腹が痛くなってきたがエジプトで腹が痛いのは病気を疑うのでやめてほしい。

10時にチェックアウト、外に出ると同時にタクシーに捕まる。空港まで20$だというのを6人乗り15$に負けさせて30分ほどで空港に着くと、入り口でパスポートチェックがあり、その10歩先には荷物検査が待っていた。入り口にかかっていた幕には日本語が書かれていたが何か建設援助でもしたのだろうか。

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荷物預け入れは不安だったのでしない予定だったが、スコッチが持ち込まないというのでやむなく預け入れ。するとGOLD TRACKとかいうビジネスクラス的な席になっていた。ジュースにケーキを配られ、預け入れ荷物にプライオリティを付けられるというとても快適な空の旅だった。

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11:55くらいまで搭乗すら始まらなかったので不安だったが、12:15に予定通りフライト。まさかの機内食が提供されたが、CAさんがキャリーをガンガン座席にぶつけていてすごかった。13:20カイロ着。

カイロ空港で35000円を5000ELに両替。ようやく対人で両替ができた。

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galaxy royal suite hotelという宿から空港まで迎えが来てくれているので40分ほど車に乗って宿に向かう。恐ろしかった。3車線の道を強引に4.5車線のように走りクラクションを鳴らし続け、そんな道を4,50km/hは当たり前の速度で走りその隙間を人とバイクが抜けていく。後ろで悲鳴とうめき声を上げながらバスに揺られると、ナイル川ほとりの雑居ビルに連れていかれた。正直「やられた」と思ったが39階建の上2階が高級ホテルになっている独特のタイプで外見からは想像もつかない豪華な内装だった。部屋はお湯がちゃんと出ないとかとか埃が溜まっているとか所々不満点はあるけれど洗濯もできる上ナイル川沿いの悪くない部屋だ。

夕飯は外に食べにいくのだがあまりにカイロの道が怖かったため遠くに行くのは諦め、ホテルの斜向かいのバーガーキングにいくことにした。ただのバーガーキングだと思っていたが、なんと観光客向け(というより金持ち向け)のエリアがナイル川ほとりに柵で囲われており、そこにあるレストランの一つとして建っていた。持ち物検査をされるバーガーキングは初めてだ。せっかくなのでどこでも食べれるものではなくエジプトらしいレストランで食べようということでイタリアンのアラビア文字の店(店名は読めない)へ。

外観を撮ってこなかったので航空写真だが、この一角が丸々囲われている。青いところが荷物検査エリアだ。

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高級レストランなら大丈夫だろうと思っていたのが間違いだった。味は日本のその辺の店より美味かったのでかなりレベルは高いと思う。しかし対応が極めて雑で英語がいまいち通じない。注文を間違えられ、ビールをこぼされ、調理ミスをされるという日本でされたら激怒モノ(こぼされた友人はキレていたが)のミスをされた。シーフードパスタとクリームパスタの具が混入しあう理由を知りたい。

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夕食後は久々に全員で大富豪をやった。高校の時から大富豪をやると非常に殺伐とするが4年経った今でも全く同じでいっそ清々しかった。大富豪上手くなりたい。そのままソファで寝落ちしたが2時頃起きてベッドに移動。

ヨーロッパ周遊+αの旅⑥ エジプト編2

卒業旅行11日目
6時に起きてすぐ宿から200mほどの距離の両替機に向かう。予定だったけど6:15に起きて慌ただしい朝を迎えた。昨日の夜友人2人で存在を確かめに行ってくれたのだがその間ですら2回話しかけられた上片方は明らかに金狙いだったというから恐ろしい。
6:40に別室のその2人を起こしに行く。「6時に一度起こしに来て6:40に迎えに来てほしい」と言われていたが案の定寝ていたので自分たちだけでホテル斜向かいのATM両替機へ向かう。この国は思ったよりATMが多いしちゃんと稼働している気がする。この機械でしか払い出しできないからよくわからないけれど。その時のルクソールのホテル前の道。高級ホテルの目の前がこれだ。天気”ほこり”とかいう初めて聞く天気を予報が伝えていたけれどそうとしか言いようがない。

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両替機の前で格闘していると昨日もあったタクシーの運転手に「俺が両替してやろうか」と言われた。どうせ酷いレートなので断ると「アスワンでも何処でも駆けつけるからなんかあったら電話しろ」と名刺を渡され、ATMの使い方も教えてくれた。こいつはいい奴なのかもしれない。60$を1040ELに変えてホテル横の商店に行きミネラルウォーターを5ELで購入。新札を渡したら「it's new……」とか笑ってた。なんなんだ。
さて今日は8時から王家の谷を巡るツアーを申し込んでいた。申し込んでいたはずなのだ。おかしい、9時になってもバスがこない。ホテルのロビーに予約票を見せて「ガイドが来ないから電話をしてくれ」と言っても「折り返しの電話が来るから待ってろ」と放置されて一向に対応されない。結局10時に迎えに来るからまた来てくれと言われ、流石にこれには来てくれた。
ハイエース的なものに乗って王家の谷へ。ナイル川を渡る橋の手前で銃を持った警察が検問のようなものを敷いており、後ろの席でザワザワしていたら”always”とだけ言われた。車内ではツアーガイドが英語で説明してくれるのだが、「英語は話せるのか?」「ちょっとだけ」「じゃあゆっくり話すわ」と言われて非常にわかりやすい聞き取りやすい英語で解説してくれた。車内ではエジプトの神話について教えてくれたが、この時ほど大学でエジプトの考古学という授業をとっておいてよかったと思ったことはない。予備知識のあるなしで理解度が全然違う。
最初は王家の谷へ。ガイドがポストカードの写真を見せながら丁寧に絵の意味を説明してくれる。入場券だけで好きな墓3箇所に入ることができ、有名なツタンカーメンの墓には追加料金を払う。それでも追加料が惜しくない素晴らしい光景だった。エジプトの管理の杜撰さが逆にそうした遺跡群を間近に見られることにもなるので、写真でしか観たことのない王家の谷や刻まれたヒエログリフを手に取るように眺めることができた。出発までのエジプトへの期待値の低さから写真を撮るための別料金を払わなかったことが本当に悔やまれる。入り口近くの商店街で友人が民族衣装とスカーフを買っていたが、エジプトは値切り前提とはいえ、正直引くくらい値切っており店主も投げやりになっていた。余談だがエジプトの商店街では「你好」「山本山」「1$」「友達」とあっちこっちから言われる。中国人ではない。山本山がなんで流行っているんだ。
次にアラベスクの手作りショップへ。まさかの日本語ガイドへの引き継ぎが行われたがかなり怪しい日本語で、いっそ英語で話してくれたほうがわかりやすい。「その辺のおみやげ屋で売ってる置物は偽物、ここで売ってるものは全部手作りで本物」「だから高いけど俺がいるから値下げできる」みたいなことを延々言われた。猫が大好きな私はここでバステトという猫の神様の置物を買った。最初45$だと言われたが流石に馬鹿らしいと言い張って27$に持ち込んだ。チェスと置き時計を買っていた友達は250$だかを150$にしていたがチップをせびられていた挙句巻き込まれて自分も払うことになった。お前俺の値引きの時何もしてないだろう。

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次はハトシェプスト女王葬祭殿へ。破壊されてしまってはいるが神殿の姿をそのまま留めており多くの観光客で賑わっていた。長い階段を上っていくと地元の人が「ガンバレ!」と叫んできて驚いた。ここでは写真撮影が自由なのでここぞとばかりに写真を撮っていると、地元の子供が「写真撮ってやる(からチップよこせ)」と言ってくるので困った。ここまででだいぶ時間を取ってしまっていたのでだんだんガイドの英語が早くなってきたような気がする。こちらは王家の谷以上に管理が杜撰でロープも何も張られていないところにどんどん入っていけるので「the遺跡」といった感じだ。

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ツアーは最後の目的地であるネムノンの巨像へ。14時ホテル前解散だったのにホテルまで30分ほどのここで既に14:15。「5分で写真撮って帰ってこい」と言われあまりよくは見れなかったが正直他の二ヶ所より見所は少なそうなので良しとしよう。

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ホテルに着き16時まで休んだ後タクシーでルクソール神殿へ。
ルクソール神殿は巨大なオベリスクや立ち並ぶ石塔などが見所の大きな神殿だ。市内にあるのでとても行きやすい。道中運転手にルクソール神殿はちっちゃくてすぐ観終わるぞ的なことを言われたけれどたっぷり45分くらい観光していたので観光地として十分な規模だ。去年ラスベガスで泊まったホテルがルクソールという名前で、看板代わりに巨大なオベリスクがあるところだったのでまさか半年後に本物を見ることができるとは思わなかったし、エジプトに来た以上見にいくしかなかった。ホテルの方はオベリスク(手前の柱)に”RUXOR”と書かれていた(過去記事参照)。

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ちなみにルクソール神殿へタクシーで行ったように書いたが、実際はホテル前のタクシーの客引きに着いて行ったらまさかの馬車に乗せられた。往復6$だというのでそれも一興と乗ってみたら、他の馬車にぶつかっても信号無視しても、逆走してもdon't worry,be honest,all okの一点張りでめちゃくちゃ怖かった。行きは助手席(?)に乗ったのだが、手綱を渡されて運転したり俺らは兄弟だ!と肩を組まれたりして面白いけど大変だった。ここで待ってるから!と帰りも同じ馬車に乗せられる。これも楽しいには楽しかったのだが、まあ案の定ホテルに行けというのに回り道をする、馬に水を飲ませると言って止まる、6$だと言っていたのに20$要求してくる有様で大変だった。市内馬車観光が1人480円程度と考えれば破格ではあるのだが……。
馬車に乗っていると地元の子供がペットボトルの水2本を持って1$1$1$と連呼してくる。その水は地元の商店なら5LEだからその2倍で売りつけようとしているのだ。写真のチップを求める子供もそうだが、こういう場所に来ないと出会えない現実を直に体感した。

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何だかんだて17:30頃ホテル着。疲れ果てて眠ってしまったので夕食は抜いた。私と同じように寝たもう1人を除いた3人はホテルの横のla terrazzaというイタリアンレストランで食事をしに行った。1人2000円くらいでたっぷり美味しいご飯が食べれたらしい。
夜になるとホテルのプールでパーティが始まり、夜遅くまで音楽が流れてきた。ナイル川の夜景とパーティを眺めながらテラスでしゃべるなんていうおしゃれなことをしてから就寝。

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(1記事につき2日入れようとしたけどエジプトに入ってからの日記があまりに長いので1日で切りました。)

ヨーロッパ周遊+αの旅⑤ ドイツ編2~エジプト編1

卒業旅行9日目
今日は有名なノイシュヴァンシュタイン城に向かう。8:30起床。朝飯は抜きで早々に車に乗り込む。集合時間の90分前にチケットカウンターに行かなくてはならず、この時間なら余裕を持ってつけるはずだったのだがガソリン給油をしないといけないことを完全に忘れており時間ギリギリに到着する羽目になった。しかも私たちはその90分を昼食やお土産物巡りに充ててしまった。てっきりチケットカウンターに集合だと思い込んでいたが山の上の城の前集合であり、30分前になって受付の人に「そこの道から山登って!急いで!」的なことを言われて突如早足山登りが始まり、着いたのは集合の5分前だった。
入り口は近代的で、改札口とモニターがあり、そこに自分のチケットの番号が表示されたら入場する。集合場所には多くの観光客が押しかけていて、横には日本人ツアーも来ていた。ノイシュヴァンシュタイン城の中は写真撮影NGだった。英語ガイドさんの説明をどうにかこうにか聞きながら場内の景色を楽しむ。当時の芸術の粋を尽くした彫刻、絵、調度品が並び、窓からは麓の町が雪景色とともに一望できる美しさだった。一部工事中だったのが残念だが有名なだけあってここまでで一番観光地然としていた。日本人観光客も多くあちこちから日本語が聞こえてきた。いわゆる観光地にあまり行かない我々の旅にしては珍しい。自分たち以外の日本語を聞いたのはストーンヘンジ以来ではないだろうか。

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私は行った先でそこのシールを買いキャリーケースにつけるのを楽しみにしている。イギリスとスコットランドではついぞ見かけることもなく、日本に帰ってからユニオンジャックシールでも買うかと思っていたのだが、ノイシュヴァンシュタイン城売店でついにシールを発見。ヨーロッパにはシールの文化がないのかと意気消沈していたので思わず声を上げてしまった。日本に帰ってきたらこのシールがどこにも見当たらないので幻だったのかもしれない。
帰りは車でミュンヘン空港近くのhotel hallgergerhofへ。外見が紫でライトアップされていてラブホっぽい。中は一軒家のようになっていて食器や調理器具も一式揃っていたが、リビングの電気が食事中突然消えるなど悪い点もいくつかあった。夕食は近くのEDEKAというスーパーで買ったサンドウィッチとハム、ビール。ハムが日本のスーパーのそれ以上に美味しくて明日からエジプトに行きたくなくなった。

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この日は日本のコンセント口をドイツに変換するプラグをどこかになくして来てしまうアクシデントに見舞われとても疲れた(これをなくしたのは私ではない)。前の宿に取りに行くという事も考えたが往復5時間かかること、それより明日出発前に家電量販店で新しく買ったほうがいいだろうということで落ち着いたが、地球の歩き方に次いで変換プラグという旅に必須の品をピンポイントで忘れるとは…。
なおこの日、毎朝準備がギリギリの友人にもっと早く起きて準備してくれ的なことを言ったら「じゃあもっと早く起こしてくれ」と言われた。は???

 

卒業旅行10日目
いよいよ2桁の大台。
7:20起床。今日はミュンヘン空港からエジプトのカイロに飛びそこからさらに南のルクソールに飛ぶ。人生初かつ最後のアフリカになるだろうということでとても楽しみだ。
レンタカーを返却しミュンヘン空港へ。エジプト航空が見つからずインフォメーションでルフトハンザと同じところでやってるからそっちに行ってくれと言われ、その上機械でチェックインしようとしたら一人分しか出てこなくてカウンターに行く羽目になった。チェックインを手早く済ませて昨晩無くした充電器を買おうとしていたからかなり焦ったが、無事充電器も買うことができた。また、ブランチで空港にあったairbrau brauhausという店に入りビールとソーセージ、プレッツェルを食べた。どこかでプレッツェルを食べたいと思っていたので思わぬところで食べれて満足。ミュンヘン空港のターミナル2の3階にsushi boxがあり、見た目普通の寿司が提供されていたので日本食がどうしても食べたければここで食べよう。寿司の魅力を断ち切り出国前最後のコーヒーを飲む。店員の姉ちゃんが英語ドイツ語タイ語を話せるマークを付けてて驚いた。こちらが英語もまともに話さないとわかるや簡単な単語を選んでくれるほどである。

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ドイツ人は英語で話しかけてもドイツ語で返ってくるほどドイツ語に誇りを持っていると聞いていたが実際はそれほどでもない、というか人によると思う。少なくとも店やホテル、空港などでは非常に平易な英語で対応してくれたしイギリスよりよほど聞き取りやすかった。
1430発のエジプト航空に乗る。評判の悪い航空会社だったので不安だが、まあ隅に埃が溜まってる以外不満はない。機内で流れる案内映像で「ゲームも携帯も通信を切ってくれ」という説明はどこでもされると思うが、その時の映像がPSPと初期iPhoneガラケーで、相当長いこと更新されていないことを伺わされた。その後はずっとアラビア語?の映画が流れていたが一切見ていないのでわからない。
機内食ビーフかチキンかフィッシュから選ぶ。私はビーフを選んだ。開けた瞬間うわ米かよと思ったが食べてみるとピラフのようで意外に美味しい。肉も柔らかく味付けされており食べやすかったしデザートのケーキもチョコソースとベリーがとてもマッチして、イギリス以来のスイーツに感激した。マカロニサラダからマカロニを抜いたようなものはまあうん。結局持ち帰ってはいなかったけれど、横に座っていた友人が「パンは(エジプトで何も食べれなかった時用の)非常食だろ」と言っていた。逆隣のエジプト人のおばさんが飛行機内で堂々化粧を始めた時はびっくりしたが、まあ日本の電車内みたいなもんかで済ませられたあたり、その辺の若い女性に感謝したい。

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17:38着陸。着陸時の揺れがあまりにも大きくてとても怖かった。
さてカイロ空港。人生初のアフリカにテンションを上げるのはさておきまずこの国はアライバルビザを取らなくてはならないのだが、これが本当に大変だった。まずどこで取ればいいのか一切わからない。空港の銀行で25$で買うのだが、まず矢印通りに進むと銀行が1箇所しか空いていない上、手際が余りにも悪く大行列。挙句「システムが落ちたから向かいの銀行に行ってくれ」と。いやまずその存在を教えろ。向かいに行ったら今度はタバコを吸いながら対応する係員。手際がめちゃくちゃ良かったから全て許せるけれど。

エジプトの入国ビザがとてもかっこよかった。手間だし金もかかるけれど、スタンプより旅に行った思い出になる。

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その後も手荷物検査やら入国審査やらで色々あったのだが慌てていたし色々ありすぎて忘れてしまった。入国審査の兄ちゃんにコンニチハと言われたのだけ覚えている。ルクソールへの乗り継ぎは20:45の国内線。4列のとても小さい飛行機だった。中国人の家族連れがいたり、明らかに観光客の白人が多く驚いた。余談だが、ラスベガスにあるホテル“Luxor”は「ラクソー」と発音しないと通じない(地球の歩き方参照)のに地名のそれは「ルクソール」で通じた。
21時頃離陸。空から見るカイロの夜景は思わず口を開けてしまうほど明るく綺麗だった。その分、カイロの光と砂漠の暗闇の境目が見事な線になっていた事も印象的だ。機内では到着の30分前にプレッツェルとクッキーが配られた。クッキーは非常食にした。それよりも未開封プレッツェルから破片がパラパラ落ちてくるのはどういうことなのか。22時ちょうどに着陸。

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ルクソール空港を出た途端タクシー運転手に一斉にたかられる。2台で150×2だの1台で200だのとぼったくり価格でギャアギャア騒がれて鬱陶しかったがあまりゴネてもめんどくさいので1台で200ELに乗ることに。普通のセダン型に運転手含めて6人詰め込まれる。意味がわからない。そのまま空港を出ようとしたら出口近くで迷彩服の軍か警察に中を調べられる。明らかに無理な乗車なのに止められない。意味がわからない。乗る前に「現金がないからカード使えるか?」「無理だから道中ATMで金を降ろしてくれ」と言われてATMに行くも金を下ろせない。意味がわからない。ホテルの入り口に空港的な手荷物検査がある。意味がわからない。怖い。安全性を考えてsteignberger nile palace hotel Luxor という高級ホテルにしたのに4人分の部屋の用意しかされてない。wifiも何もかもオプション料金を取られる。酷すぎる。帰りたい。誰だアフリカ楽しみとか言ってたやつは。1ELも手にすることができないまま午前2時に就寝。明日は6時起き。

ヨーロッパ周遊+αの旅④ スコットランド編2~ドイツ編1

卒業旅行7日目
8:30起床。今日はヒースローを経由してドイツのミュンヘンへ。インヴァネス駅前でタクシーを捕まえて乗り込むと運転手に英語に何かを話しかけられた。一切わからない。運転手はシートベルトをしていなかった。
歩き方にはインヴァネス空港〜インヴァネス市街が10〜12£と書かれているが、行きは25£、帰りは30£取られた。料金メーターの横に行きは2、帰りは3とか数字が書かれていたので、もしかしたら10〜12の基本料金に掛けられているのかもしれない。
インヴァネス空港に想定より早く着き、チェックイン機でバウチャーを出そうとしたところ紙切れか何かでカウンターに行けと指示された。「チケット発行中に機械が壊れたって英語でなんていうんだ」と話し合った上でカウンターで無事チェックイン完了。ここで地球の歩き方をどこかに置いてくるという重大なアクシデントが発覚、イギリスの歩き方は肌身離さず持ち歩いていたが他国のものをどこかの宿において来たようだ。(ここを書いているのを見た友人に「アクシデントってかお前のミスだろ」と言われた。その通りです。)さらに飛行機が12:25の出発時刻になっても到着しない。それだけならまだよかった。どうにか乗り込み飛行機に乗っても一向に飛び立たず、CAにバウチャーを見せたところ「その乗り換えはもう無理だから次の飛行機に乗ってくれ」と言われた。いや次の飛行機だと宿のチェックインに間に合わないのだが。結局80分遅れの13:45にフライト。15:30にヒースローに着いたが、そもそも乗る予定だった飛行機は15:30だったので当然間に合わず。

インヴァネス空港にはタラップがない(多分)ので飛行機まで徒歩で向かう途中に写真を撮った。見ての通り何もない。前の記事に乗せた平屋と管制塔があるだけだった。

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あまりに暇だったのでロンドンの日本食チェーン店wagamamaに入り17時頃早めの夕食にした。私が注文したyaki udonは日本で食べるそれとほぼ同じ食事で美味しかったし日本食欲を緩和してくれた。しかしwagamama ramenを頼んでいた友人は「葬式の時に出るあったかいそうめん、お吸い物みたいな汁」と評するほどの味だったようだ。

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結局、遅れに遅れ19:00発くらいの飛行機にバラバラに搭乗した。前の席の友人と話していたら隣にいたおばさんが「席変わってあげようか、私もその隣友人なの」的なことを言ってくれて席を代わってくれた。英語で何か言われたらとりあえずyesといってしまう日本人なので、その時もyesとしか言えずさすがにおかしいだろうと何か言おうとしても語彙が出てこなかった。こういうことがあるたびに英語を勉強しようと思うのだがどうにも日本に帰ってくるとやる気にならないから留学って大事だと思う。

20:30ミュンヘン空港着。英語圏外への旅行が初めてなのでとても緊張する。併設のスーパーで夕食(イギリスからどのくらい改善されるかに掛けてサンドウィッチを買った)とビールを買い、レンタカーで宿のpension wessへ。
このpension wessが最悪だった。レイトチェックインをしたため係員はおらず、それはいいが自分たちの部屋の鍵がフロントの奥にしまわれていてまずフロントに入り込まなくては部屋に入ることすらできなかった。しかも5人で予約したにも関わらずなぜが部屋の設備が3人分しか用意されていなかったので毛布もタオルも足りなかった。散々文句を言いつつ1時頃就寝。

 

卒業旅行8日目
7:30起床。朝から猛吹雪だが車に乗る頃には小雪になっていた。イギリスと同様この国も天候の変化が激しいのかもしれない。今日はダッハウ収容所とリヒテンシュタイン城(リヒテンシュタイン公国ではなくドイツにある)を観光したのちシュトゥットガルトという街に宿泊する。今日は私の海外運転デビューの日ということもあり緊張する。
出発した時は小雪だったが少し走るとまた雪が降り始め、しばらくすると晴れになった。いったいどんな気候変動かと不安になるがこれがヨーロッパの普通なのだろうか。
まずダッハウ収容所に向かう。ここはナチスドイツが最初に作った収容所であり想像以上の規模だったし日本史を大学で研究した心が高鳴った。ユダヤ人人体実験などのかなり暗い面が日本の負の遺産の展示に比べてとても直接的な表現されていた。当時のシャワー室(ガス室ではない)やトイレなどの遺構がそのまま展示室になっており当時の行為の爪痕と共に伝わってきた。

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途中のSAで水を買いつつ運転手交代。余談だがこの国はSAでビールが売られている上水よりも安い。ここから私の人生左ハンドル右通行運転が始まったのだが、同乗者には誠に申し訳ないことをした。右合流、ラウンドアバウトなど日本ではなかなかやることのない交通ルールが多く警察に見られていたらつかまるであろうことを3度ほどやってしまった。それでも少し走ると慣れてきて、西ドイツの雪山の景色を楽しみながら走ることもできた。リヒテンシュタイン城に着いて駐車代2€を支払う。この辺りから大雪が降りだし、道も白くなり始めていたので非常に寒かった。正門のところで受付のおばさんに8€の入場代を払うと入場するための鍵を持ってきて途中のガイドツアーに組み込んでくれたがドイツ語なので一切わからず、気にしてくれたのかガイドさんが流暢な英語で最低限の説明をしてくれた。初めから英語で全部話してほしい。一応日本語のガイドペーパーがあったのでツアーとしては申し分なかったが内部の撮影がNGだったのが残念だ。現領主が中世の甲冑を集めたコーナーに日本の甲冑も置かれていた。トクナガの鎧らしいけど検索するまで知らなかった。

がけっぷちに建つリヒテンシュタイン城を見てどう建てたのか、「元々普通の山だったところに建てて切り崩した説」とか喋っていた。

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今日の宿、シュトゥットガルトのa&o hostelに向かう。ホステルは相部屋形式があるかもしれないと聞いていたがそんなことはなかった。久しぶりに2段ベッドに寝れてテンションが上がる。
夕食は路線バスで2駅行ったところにあるcarls brauhausというドイツ料理店へ。対応してくれた兄ちゃんがものすごく親切でわかりやすい英語を話してくれた上ノリが良かった。「飲んでないじゃないか!せっかく来たなら飲まないと!」的なことを言われてついビールを飲みすぎてしまい外国で相当酔ってしまった。ソーセージやチーズを頼んだのだが、量がわかっていないので頼みすぎてしまい、その兄ちゃんに途中でオーダーを止められて「よしじゃあそれをみんなで分けろ皿5枚持って来てやるから」みたいなことを言われた。イギリスの飯に慣れていたので本当に感動する美味しさだった。ソーセージはちゃんと肉汁が出てくるし、野菜はみずみずしく味がある。ドレッシングも変な味がしない。チーズも日本で食べるものより美味しい。しかもイギリスより物価が安く、ビール1.5lに肉やらチーズやらたらふく食べて3400円程度とこの旅行で一番いい食事が出来た。
食後、酔った勢いで近くの風俗街的なところを歩いてみた。あまりに怖くてすぐに帰ったけれど、海外の風俗レポとか書いてる人の底知れない勇気に感服する。

ヨーロッパ周遊+αの旅③ スコットランド編1

 

卒業旅行5日目
この日はヒースロー空港から飛行機でスコットランドネス湖ほとりにあるインヴァネスに向かう。この街では本場のスコッチを飲むこと、ネッシーに会うことが目的である。
6時に起き、10時発の飛行機に搭乗。12時にインヴァネス空港に到着。平屋建てにプロペラ機だらけ、イミグレーション1箇所、タラップもないというまさしく調布飛行場のような空港で驚いた。併設のレストランで地ビール的な赤いビールを飲みつつバーガーを食べた。

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空港からタクシーで市内の駅へ。歩き方には10〜12£で行けると買いてあったが25£ほど取られた。
宿に向かう前に、替えの服をあまり持ってこなかった友人の服を買いに駅前のショッピングモールへ。結局スコットランドにまできてh&mの7£の服を買っていた。
今日の宿は98church st.という3階建の一軒家だ。2階にはリビング、キッチンまで揃っていたので近くのスーパーで食材の買い出しに。ペンネ、ベーコン、トマト缶、生ハム、瓶ビールを買い込み旅行の度に作っているパスタを作成、正直イギリスで一番うまい飯だったかもしれない。宿のオーナーさんが置いてくださった手紙に日本語が書かれていた。海外旅行中に日本語を見ると嬉しくなるのはなぜだろう。

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「2日間で飲もう」と買ってきたスコッチウイスキーの瓶を一晩で開けきった辺りから寝落ちし始め、いつしかソファで眠っていた。隣で寝ていた友人の寝相に蹴り飛ばされたお陰で起きてベッドに移動できたので良しとしよう。

 

卒業旅行6日目
インヴァネス2日目。今日はジャコバイトクルーズというツアーに参加してネス湖周辺を巡る。
ゆったり8:30に起床しインヴァネス駅前の集合場所へ。インフォメーションセンターで予約表を見せたら「1番バス停に行け」と言われたのに2番バス停に来た。
バス車内では引率者のグリーグ(多分)というおっさんがひたすら北部訛りの英語(そういうことにしたい)で色々見どころの紹介をしてくれていたが3%くらいしか聞き取れなかった。挙句、英語を介さないことを心配され、バスから降りる度に集合時間の確認をされた。言葉がわからない分、わかる単語に敏感になっていたので集合時間は聞き取れていたが申し訳ない気分になった。
ウォーリアーという船に乗り込みネス湖を行く。ほとりにあるアーカード城という古城に入る予定だったがなぜか(多分言ってたと思うけど聞き取れなかった)入れなかったので、船の上から城を眺めて自撮りをしたりした。

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風があまりにも強く、一昨年行ったアラスカもかくやという程だったが、風がやめば何のことはない北海道の少し北くらいである。船内ではガイドがなにかの説明を延々したり民族歌謡的なものを歌っていたが一切わからなかったし聞き取ろうとする気もなかった。道中loch ness center&exhibition experienceという博物館的なところでネッシー調査についての映像を見た。日本語で書かれた内容の要約文が配布されていて内容は理解できたがアナウンスの方は一切理解できなかった。博物館の前に置いてあったネッシーの像がやけに怖かった。

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昼に街に戻ってきて14時頃から、近くのホテルに突撃してアフタヌーンティーを食べに行った。一切計画していなかったので「invanes afternoontea」で検索して一番近いところに行った。入店した後にこの店のアフタヌーンティーは予約限定なのではないかという疑惑が浮上したが、オーダーを聞かれた時に「アフタヌーンティーを食べたい」と言ったらわざわざ裏に聞きにいってくれた。無事4人分(甘いものを食べれない1人は別の店に向かった)のアフタヌーンティーを出してもらったが、その量が尋常ではなかった。私含めて全員甘党を自称していたが1段目を食べた時点でフォークを持つ手が重くなり、私は最後、鼓動が早くなる程に甘さに苦しめられた。聞きかじった食べ方のマナーに「下段(サンドウィッチ)から中段(スコーン)上段(スイーツ)の順で食べろ」と書いてありそれに従った結果、甘さをリセットするサンドウィッチがなくなり非常に苦しい思いをした。最後のスコーンを食べている間など、これがサンドウィッチになればすぐに食べ終わると文句を垂れながら食べていた。ちなみに無事完食し、4人で64£程。格安である。

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2時間ほどかかった死闘の末腹ごしらえをしつつ宿へ。イギリスに来た以上パブに行かないとということで宿の近くのパブで明日からのドイツのことを話しつつビールとスコッチを飲んだ。

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明日はヒースロー、ミュンヘンへの移動日なので少し夜更かしをしつつ洗濯と掃除をして就寝。

 

ヨーロッパ周遊+αの旅② イギリス編-2

卒業旅行3日目
この日も雨。5時起床。6時にホテルを出てレンタカーを借りに行く。併設のサブウェイでコーヒーをこぼして酷い目にあった。狭いレンタカーに5人乗り込んで出発…しようとしたが、サイドブレーキの場所諸々一切わからず結局予定より1時間遅れで出発した。
当初予定していたハートフィールドというプーさんの舞台になった村は時間の都合で飛ばしてストーンヘンジへ。さすが世界遺産と言うべきかしっかり日本語のパンフレットも用意されていた。ふらつくくらい風が強かったが、バスに乗りストーンヘンジの近くへ行くと日本人観光客のグループと何度かすれ違った。ストーンヘンジ型のチョコレートをお土産に買った。ストーンヘンジと聞くとあの積まれた石だけをイメージしがちだが、あれ以外にも当時の人々の家の遺構もありそちらも十分楽しめる。

これこそストーンヘンジだというような写真を撮ることが出来た。曇天がいい味を出している。


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今日の宿はオックスフォード郊外にあるのでそのままそこへ向かう。童話の世界に出てくるようなレンガ作り2階建てのおしゃれな建物でパブも併設されている宿だ。

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地球の歩き方を読んでいたらオックスフォードのクライストチャーチハリーポッターの食堂シーンのロケが行われていたと言うことを知り行こうとしたが、時間が足りず敢え無く断念。車で夕飯を食べに行った。少しおしゃれな感じのする店に行ったが結局はイギリス飯。オニオンスープとトンカツのようなものを注文したが、オニオンスープは良いとして安売りの肉のようなトンカツに£30出したと思うと日本食が恋しくなる。イギリスにいる間は仕方がない。思い返せば店内でおばさんが大笑いしていたしそれほどの店でもなかったのかもしれない、いい店ならうまい保証もないけれど。

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卒業旅行4日目
7時起床。今日はロンドンの西にあるコッツウォルズという地方に向かう。ここは昔ながらのイギリスの街並みがそのまま保存されているところで、イギリス1美しい街並みと言われているバイブリーという村もある。
グロスターという村のグロスター大聖堂の廊下はホグワーツの廊下のロケで使われていることを知り、前夜のリベンジで向かった。ちゃんとした日本語の案内紙があり、やはり日本人観光客の需要があることとハリーポッターの影響の強さを感じた。ロケ地の廊下では撮影されたシーンを紹介するパソコンが置かれており大興奮した私は友人と共に同じポーズで写真を撮ることに。ハリーとロンが話しながら歩いてくるシーン、クレィルがスネイプに胸倉を掴まれているシーンを再現した。あまり観光客もいなかったのでいい写真になったと思う。

外観もホグワーツ感に溢れている。塔の上とか絶対フクロウ小屋だと思う。

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本来なら次にストラトフォードアポンエイボンというシェイクスピア生誕の地に向かう予定だったが時間が押していたため、バイブリーへ。アーリントン・ロウという街並みは14世紀に建てられたものがそのまま使われており、現在はコテージになっているようだ。綺麗な小川が流れており、ホテルもあるなど小さいながら観光地として出来上がっていた。イギリス1美しい街並みと称えられた景色は確かにその通りで、古い町並みに流れる小川と小さな橋に曇り空がマッチして、暗い自然の美しさのあるイギリスの田舎町然としていた。地球の歩き方に載っていた撮影スポットからアーリントン・ロウの街並みを写すと本当にらしいものになった。教会は歩き方にも載っていなかったがこじんまりとしたいい感じの場所で、中から子供たちの声が聞こえていたから保育所なども兼ねているのかもしれない。

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そのまま2時間ほど北上してノーザンプトンという街へ。ここは革靴工場が多くあり、私は一切知らないが有名なブランド靴を日本よりかなり安く買えるという。友人の1人が革靴を買いたいというので向かった。たしかトリッカーズというブランドで5万円くらいの靴を買っていたと思う。it's my size!!!とか叫んでてめちゃくちゃ面白かった。アジア人の若者5人がぞろぞろと入れるような店ではなかったが、心の中で謝りつつ場違い感を黙殺して普段なら触れることもない高級皮靴を眺めていると一切興味はなかったはずが欲しくなってくるから不思議である。旅行中とはいえ5万円ポンと出せるほどは財布の紐を緩めていなかったので買わなかったが、たしかに好きならば買いたくなる魅力はあった。
今晩の宿、ヒースロー空港の近くのazizManzilというairBへ。オーナーに「ベッド4人分だけどお前ら5人どうやって寝るんだ?」と聞かれ「ソファで寝るからタオルケットだけくれ」と答えて笑われた。部屋のど真ん中に洗濯紐を通して服を大量に干しつつ料理をする我々は宿泊というより生活をしていた。
空港内の M&Sというスーパーで買ったギネスビールと冷食ピザを備え付けのオーブンで焼いた。以前アメリカに行った時も同じようなことをした甲斐あってか程よい焼き加減になった。前回のサンタフェで起きた「焼いてくれたら食うから焼いてくれ寝落ち事件」とほぼ同じメンバーだったので不安だったが、今回はちゃんと起きて食ってくれた。明日の6時起きに備えて日付変わるあたりで就寝。

 

「焼いてくれたら食うから焼いてくれ寝落ち事件」↓

wwgogo.hatenablog.com

 

 

 

ヨーロッパ周遊+αの旅① イギリス編-1

卒業旅行1日目

あいにくの雨。3:30起床。4:30発の羽田行きリムジンに乗り8:30発中国国際航空北京行きに搭乗。普段ならシートモニターの映画で時間を潰すのだが、言語が英中仏しかなかったので諦めて地球の歩き方を読んでいた。

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ソウル上空できれいに北朝鮮領を避ける図。中国機ならまさかと思ったけどそんなことはなかった。
北京からロンドンに行く飛行機が1時間遅れていたのでスタバでカプチーノとスコーンを食べた。北京空港内のほとんどの自販機は人民元か中国の電子マネーがないと使えないので注意、搭乗ゲート近くの自販機でクレカが使えたはず。
15時に搭乗。機内食を食べてすぐに寝たが時差ボケ対策で仮眠程度に留めて、地球の歩き方を読んだり写真を見返したりして暇を潰した。2度目の機内食で抹茶プリンらしきものが出されて少し嬉しかった。

ヒースロー空港に着いたが宿まで電車で45分くらいかかるので真っ先に宿に向かう。途中のコンビニで水とサンドウィッチを買ってすぐに寝た。思えばこの食事が「メシマズ大国イギリス」での最初の食事だったわけだが、パンはぼそぼそ、チーズは青臭い、何かの肉は無味で初めからその猛威の片鱗を見せつけていたのだなあ。

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宿の最寄り駅。この辺の治安が非常に悪く、周囲は落書きだらけでガラの悪い人がたくさんいたので怖かった。

 

卒業旅行2日目

快晴。午後から雨らしいので傘を持ったらカバンが重い。
8時前に起きて宿の朝食へ。ちょうど席が空いたのだが、前に食べていた人たちが「どうやったらそこまで喰い散らせるのか」というくらいに零していて給仕さんが大変そうだった。世界一のメシマズ大国なので、無難なパンとカフェラテを食べた。一つだけ食べたウインナーはフランスパンのような食感で肉汁0だった。
9時頃出発。まずはウェストミンスター大聖堂とビックベンに向かった。

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大聖堂に入る気満々だったが入場料20£を他のメンバー全員が嫌がったので断念。しかもビックベンは工事中で時計しか見れず。その後向かったバッキンガム宮殿の衛兵交代式も行われない日だったと、リサーチ不足が露呈した。交代式は自分たちと同じような観光客が大勢群れを成しており、諦めた人たちが時々撤収していた。自分たちも撤収しようとしたところ小さな騎馬隊が通り、それに興奮してしまって余計時間を食った。f:id:aiz4ryhe:20190322190606j:plain
次に9 3/4番線があるキングズクロス駅に向かう。9番線前にあるハリーポッターショップには9 3/4番線とそこに吸い込まれるカートが作られており、そこで寮のマフラーを巻いて写真を撮ってもらえる。ハリーポッタークイズを出し合いながら30分くらい並んでグリフィンドールのマフラーで撮ってもらった。

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次の大映博物に向かう途中のパブでビールとフィッシュ&チップスを食べた。かなり日本人向けの味付けだった(イギリス比)、イギリスで一番うまい飯だったと思う。時間が非常に推していたため、大英博物館はこれからエジプトにも行くということでロゼッタストーンだけ覗いた。
帰りはテムズ河を船で遡上した。河から見るロンドンの街は視点が低いからかやけに不思議な感覚だった。
途中下車してピカデリーサークルに行き「the ロンドン」の街並みを歩きつつsuperdryのショップで服を見た。「極度乾燥(しなさい)」と書かれている服が多く売られているが、最近は中国人の方が多いからなのか中国語の服の方が多かったような気もする。他にも「自動車潤滑」やスーパードライ繋がりなのか「黒ラベル」と書かれたものも沢山売られていた、日本人が英字ロゴを着るのと同じような感覚なのだろうか。

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今日も夕飯はコンビニで買った。チョコクロワッサン4つ入りはまあ日本で食べるのと同じくらいの味だった。

誕生日

 誕生日が楽しみだったのはいつまでだろう。たぶん高校までだ。22歳になった今日、私は起きてからそんなことばかり考えていた。なぜだろう。

 高校までは「大学生」になるという夢があった。ぶっちゃければそこまで面白くなかった中高時代に比べて大学に入れば今よりは面白い日々が待っているだろうという希望的観測があったからこそ、「やっと18になった、じき大学生になれるぞ」という実感と喜びがあったのだと思う。それが今との差だ。「やっと22になった、じき社会人になれるぞ」なんて酔狂なことを思うわけがない。少し前に“オタクの大学生は大学生じゃない、だから俺は大学生じゃない(要約)”という記事を書いたが、そういってもそれなりに大学生活を楽しんだ。だから環境の変化を望む理由はないし、変化の先は懲役40年(実質無期)。社会人生活に憂鬱と悲観しかないといえば嘘になるが、それでも、どう希望的観測をしても月日の経過を喜ぶわけにはいかない。

 以前某五歳児に叱られる番組で「なんで歳を取ると時間経過が早くなるの?」というのをやっていた。毎日を空虚に生きるようになって無意識の時間が長くなるから…という結論だったはずだ。だとすれば刺激があればゆっくりになるのか。あと一か月半の執行猶予を如何に引き延ばそうか、考えるだけ無駄なことはわかっていてもつい思考が引っ張られる。それなら、その無駄な時間をなにか有意義に使えないか考えよう。それすら無駄だと言われればそれまでだけれど。

Q.「自身のことを好きですか?」

Q.「自身のことが好きですか?」

A.「―はい、大好きです。」

Q.「なぜですか?」

A.「―…かっこいいから?」

 

仮にタイトルのような質問をされたら、私は上記のように答える。だって俺かっこいいもん。見た目もいいし、そこそこの大学程度の脳みそあるし、性格いいし。嫌いになる理由、ある?って話。

でも多分、この質問をされて俺みたいに答える人は変な人だ。ナルシストだとか後ろ指を指されるだろうしこの記事を読んだ人もそう思うかもしれない。それでも私は自分が大好きだ。なぜかって?だって生涯を共にするのは自分自身だからだ。‟生涯を共にする人”というと結婚相手をイメージするかもしれないが、いや、その人せいぜい50年くらいしか一緒にいないだろ、という。自分自身とは80年くらい一緒にいないといけない。結婚相手と違って別れるとかできないし。だったらまず自分を大好きにならないといけない、大好きになって当然だと思う。

中学・高校の頃は自分のことが嫌いだった。根暗だし、運動音痴だし、成績悪いし。担任に「腐った魚の様な目をしている」って言われたこともあった。なんでそんな風になってたかって要するに自信がなかったからだと思う。そりゃ根暗で運動音痴な馬鹿とか誰も好きになるわけないし、腐った魚の様な目にもなる。今思うと担任すごいこと言ってるなと思うが実際そんな目をしてたのだろう、否定する根拠はない。大学生になった今は自分が大好きだ。顔良いし、そこそこな大学出るくらいの頭はあるし、性格いいし。鏡に映った自分の目は二重できれいだ。

学年成績下位10%だった中高時代は自分を卑下してしかアイデンティティを保てなかった。……じゃあ今はどうやって保ってるのと言えばろくな方法ではないのだが、自分を褒める(認めさせる)ことが出来るようになった。その大本がなんだったか思い出せないが、1年次の必修体育が得意分野ばかりで目立てたからかもしれないし、単純に容姿を褒められる機会が多かったかもしれない。入学したてのとき私の容姿を好きと言ってくれた某氏には感謝しなくてはならない。今は殆ど関わりなくなってしまったけれど。

とにかく、自信を持つには外的要因が必要だと思う。どんな些細なことでもいいから自分を褒めて(褒めさせて)おくのが自分を好きになるコツではないか。

些細なことで自分を褒める?私はどんなことで日頃自分を褒めてたかな。

誠にくだらないが、毎日鏡に映った自分を見て「うわかっこいい」って思うようにした。きもいとか思わないでほしい。ヘアセットしたらもっとかっこいいと思った。そんな自己暗示的な方法で半ば強引に自分を褒めていたらいつの間にか本当にかっこいいと思うようになった。ここまできたら“勝ち”だ、かっこいい人ってなにやってもかっこいい。ゲームやってる人(自分)もかっこいいし、バイトしてる人(自分)もかっこいいし、それこそこんな記事書いてる人(自分)もかっこいいし。一種の中二病だと自分でも思う。

 

ただこの方法は要するに自己暗示なので、ふとしたきっかけで「かっこいい自分」の幻想が崩壊すると大変なことになる。酒飲んで勝手に自己分析して鬱になったり、本当にかっこいい人を目の当たりにしたり。根拠のない自信で以て自己を保っているので、基礎ができてない人の勉強並に揺らぎがち。それでも、自分を好きになってから絶対生きやすくなったし、たぶん健康にもなった。

依然なんかのCMで『フレーフレー私』みたいな曲が流れていたと思う。歌詞は(JASLACが怖いので)各自調べてほしいが繰り返し出てくるフレーズが私は大好きだ。自信を持った自分に出来ないことなんてない、そう思う。

 

だから私は私が好きだ。

個別塾講師のアルバイトをしよう!

2月1日から始まる一大イベントといえば何か。東京都の私立中学受験ラッシュである。今年も多くの受験生が朝早くから試験を受けており、その中には私の生徒もいるわけで合格の報告を待つばかりである。これが終われば(まだバイトは続けるが)一仕事終えるということで個別塾講師のアルバイトを勧める記事を書いてみる。

 

良いところ①客層がまとも

接客バイトをしている友人が「人間じゃないのしか来ねえ」と溢しているのを何度か聞いているが、塾講師ならそうしたトラブルと無縁である。このブログで受験に理解のない親に対する文句を垂れ流したことがあるが、彼らは“人間”でありきちんと話せば理解を得ることは大体可能である。なにより子供を塾に通わせることができる時点で一定の財力があり、また学習に対して理解がある(≒親自身に一定の学がある)のだから、いわゆる底辺を相手にする機会はない。それでも一度だけモンスターペアレントを引いて酷い目にあったが。

 

良いところ②バイトと社員がまとも

当然、生徒に指導できる学力があるアルバイトしかいないので必然的に真っ当な人間が集まる。塾講師の前のバイト先にはどうやって今まで生きてきたのか疑う人間がいたが幸い塾講師では会ったことがない。通っている大学も同じレベル〜それ以上なので(自分より上の大学の人がどうかは知らないが)少なくともこちらが話しにくいと思ったことはない。

社員に関しても同じことが言える。流石小学生を上手に扱うだけあってバイトへの指導もうまい社員が多い。恐ろしくミスの多い社員を一人知っているが彼も「そういうものだ」とバイトを引き込んでいたのである種の統率は取れていたと思う。とても働きやすい環境だと言えるだろう。

 

良いところ③生徒と仲良くなれる

これは担当の生徒と自分の相性や性格にも依るが、小・中学生と仲良くなって雑談をすると様々な発見がある。国語の授業で難しい言葉を覚えるとすぐに使いたがったり、他の先生から聞いた雑学を(本人なりの誤解と解釈を含んで)披露したがったり。そんな会話は彼らとしかできないものだろう。10も年下の生徒から遊びの話を聞くと自分の世代からは考えられないハイテクな悪さをしている一方で、未だに消しピンをしていたりする。「授業中にスマホで先生盗撮して友達に送りつけてる〜」など言われると最初は信じられなかったが、自分も授業中にメモ用紙を丸めて回していたことを思い出すと結局やってることは同じである。

 

良いところ④その他

ここまで綺麗事を書き連ねたが、単純に仕事量に対して給料が良い。90分の指導時間一杯まで指導するわけではない(生徒の集中が保たない)ので正直楽だ。

 

さて良いところを4つ挙げたが当然悪い面もあるわけで。

 

悪いところ①体力が削られる

生徒の悪気のない口撃やナチュラルな煽りは時々イラッとくるものもある。いくら指導しても中々成果が上がらなかったり、一切勉強する気のない生徒もいる。ただ生徒相手に怒るわけにもいかないから私は最終的に「わかったからペン持って問題解いて」と言って終わらせている。しかしまたすぐに集中が切れて…と堂々巡りになる。非常に気力が削がれる。生徒が可愛いからいいのだけれど。

 

悪いところ②(冬季)講習期間が本当に忙しい

6年生の冬季講習ともなると流石に生徒も尻に火が付く(ことが多い)。難関校の過去問解説を7コマ(90分×7コマ=10時間半)延々とし続けないといけない日があったりするとその日は非常に疲れる。情けない話だが、私文には御三家レベル(その他四谷大塚偏差値60以上)の算数が解けなかったりする。言い訳させてもらうと中学入試は100点が取れないようにできてるから、いわゆる“捨て問”だと言ってしまえばそれまでではある。ただ解説する上ではそうも言っていられないから予習をしないといけない。残業なり早出なりしてどうにか補うのが常である。

また、受験期間も忙しい。朝7時前から学校正門前に並んで生徒の応援に駆り出される。寒いし眠い。なにせこの記事もその帰り道に眠気覚まし代わりで書いている。

 

以上、悪いところである。こういう勧誘文は多分悪い点を挙げてから良い点を挙げるべきだと思うが添削するのも面倒なのでこのままにする。万が一、バイトを何にするか悩んでいる人の目に触れることがあれば参考にしてほしい。

まあ何が言いたいかというと。

 

 

頑張れ受験生!