9号車乗り場

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旅行記やら日記やら

誕生日

 誕生日が楽しみだったのはいつまでだろう。たぶん高校までだ。22歳になった今日、私は起きてからそんなことばかり考えていた。なぜだろう。

 高校までは「大学生」になるという夢があった。ぶっちゃければそこまで面白くなかった中高時代に比べて大学に入れば今よりは面白い日々が待っているだろうという希望的観測があったからこそ、「やっと18になった、じき大学生になれるぞ」という実感と喜びがあったのだと思う。それが今との差だ。「やっと22になった、じき社会人になれるぞ」なんて酔狂なことを思うわけがない。少し前に“オタクの大学生は大学生じゃない、だから俺は大学生じゃない(要約)”という記事を書いたが、そういってもそれなりに大学生活を楽しんだ。だから環境の変化を望む理由はないし、変化の先は懲役40年(実質無期)。社会人生活に憂鬱と悲観しかないといえば嘘になるが、それでも、どう希望的観測をしても月日の経過を喜ぶわけにはいかない。

 以前某五歳児に叱られる番組で「なんで歳を取ると時間経過が早くなるの?」というのをやっていた。毎日を空虚に生きるようになって無意識の時間が長くなるから…という結論だったはずだ。だとすれば刺激があればゆっくりになるのか。あと一か月半の執行猶予を如何に引き延ばそうか、考えるだけ無駄なことはわかっていてもつい思考が引っ張られる。それなら、その無駄な時間をなにか有意義に使えないか考えよう。それすら無駄だと言われればそれまでだけれど。