9号車乗り場

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旅行記やら日記やら

Q.「自身のことを好きですか?」

Q.「自身のことが好きですか?」

A.「―はい、大好きです。」

Q.「なぜですか?」

A.「―…かっこいいから?」

 

仮にタイトルのような質問をされたら、私は上記のように答える。だって俺かっこいいもん。見た目もいいし、そこそこの大学程度の脳みそあるし、性格いいし。嫌いになる理由、ある?って話。

でも多分、この質問をされて俺みたいに答える人は変な人だ。ナルシストだとか後ろ指を指されるだろうしこの記事を読んだ人もそう思うかもしれない。それでも私は自分が大好きだ。なぜかって?だって生涯を共にするのは自分自身だからだ。‟生涯を共にする人”というと結婚相手をイメージするかもしれないが、いや、その人せいぜい50年くらいしか一緒にいないだろ、という。自分自身とは80年くらい一緒にいないといけない。結婚相手と違って別れるとかできないし。だったらまず自分を大好きにならないといけない、大好きになって当然だと思う。

中学・高校の頃は自分のことが嫌いだった。根暗だし、運動音痴だし、成績悪いし。担任に「腐った魚の様な目をしている」って言われたこともあった。なんでそんな風になってたかって要するに自信がなかったからだと思う。そりゃ根暗で運動音痴な馬鹿とか誰も好きになるわけないし、腐った魚の様な目にもなる。今思うと担任すごいこと言ってるなと思うが実際そんな目をしてたのだろう、否定する根拠はない。大学生になった今は自分が大好きだ。顔良いし、そこそこな大学出るくらいの頭はあるし、性格いいし。鏡に映った自分の目は二重できれいだ。

学年成績下位10%だった中高時代は自分を卑下してしかアイデンティティを保てなかった。……じゃあ今はどうやって保ってるのと言えばろくな方法ではないのだが、自分を褒める(認めさせる)ことが出来るようになった。その大本がなんだったか思い出せないが、1年次の必修体育が得意分野ばかりで目立てたからかもしれないし、単純に容姿を褒められる機会が多かったかもしれない。入学したてのとき私の容姿を好きと言ってくれた某氏には感謝しなくてはならない。今は殆ど関わりなくなってしまったけれど。

とにかく、自信を持つには外的要因が必要だと思う。どんな些細なことでもいいから自分を褒めて(褒めさせて)おくのが自分を好きになるコツではないか。

些細なことで自分を褒める?私はどんなことで日頃自分を褒めてたかな。

誠にくだらないが、毎日鏡に映った自分を見て「うわかっこいい」って思うようにした。きもいとか思わないでほしい。ヘアセットしたらもっとかっこいいと思った。そんな自己暗示的な方法で半ば強引に自分を褒めていたらいつの間にか本当にかっこいいと思うようになった。ここまできたら“勝ち”だ、かっこいい人ってなにやってもかっこいい。ゲームやってる人(自分)もかっこいいし、バイトしてる人(自分)もかっこいいし、それこそこんな記事書いてる人(自分)もかっこいいし。一種の中二病だと自分でも思う。

 

ただこの方法は要するに自己暗示なので、ふとしたきっかけで「かっこいい自分」の幻想が崩壊すると大変なことになる。酒飲んで勝手に自己分析して鬱になったり、本当にかっこいい人を目の当たりにしたり。根拠のない自信で以て自己を保っているので、基礎ができてない人の勉強並に揺らぎがち。それでも、自分を好きになってから絶対生きやすくなったし、たぶん健康にもなった。

依然なんかのCMで『フレーフレー私』みたいな曲が流れていたと思う。歌詞は(JASLACが怖いので)各自調べてほしいが繰り返し出てくるフレーズが私は大好きだ。自信を持った自分に出来ないことなんてない、そう思う。

 

だから私は私が好きだ。