9号車乗り場

9号車乗り場

旅行記やら日記やら

いい加減なにか書くネタが欲しい

 何もしていないので書くネタが本当にない。腐ってしまう。ブログ書いてる俺の友人らはなにもない中から読ませる文章を生み出しているけど俺にそんな力はないのでいい加減諦めました。

 何かネタでもないか、11月-12月でやったことはなんだったか書き出してみようと思う。

 ・GoTo使って都内の高い旅館に行った。

 ・お絵描き合宿をした。

 ・断捨離をめっちゃした。

 ・筋トレをしている。

 うーん、どれにします?うーん、困ったなあ。

 断捨離とか筋トレって自己満足の世界だからあんまり書きたくないんですよね。コツとかなんだかとかもっと上手いこと書いてる人いっぱいいるだろうし。旅館行った話にしますか……観光地に行ったわけでもないですけど…

 ここに行きました。

www.princehotels.co.jp

 高かった~、1人1泊¥42,869也。部屋の面積100.8㎡!さすがに普段じゃ無理ですね……GoToで¥28,869になるので行けるか~という話になって仲間内で行ってきました。

 なに書けばいい!?部屋と飯の写真しかないんだけど。それ書くか……高級旅館ってそういうもんだよね…

 高輪プリンスホテルの中にあるので、高輪プリンスホテルの高級感に圧倒されながら入りました。ひえ~って感じ。死んじゃう。フロント広すぎてどこがチェックインカウンターなのかわかんないし。

 花香路宿泊者専用のエレベータからラウンジに通されてチェックインをしました。

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ウエルカムドリンクというやつ初めて出された

 

 部屋は沈丁花という一番広い部屋でした。ビジネスホテル2部屋分くらいの広さ + 広縁(窓際の椅子置いてあるところ。ここクイズに出ます。) + 大の字になれる広さの玄関とお手洗いと風呂。やば。3人で泊まる部屋じゃない。

 さっそくラウンジ巡りに繰り出しましょう。高輪プリンスホテル内のラウンジ全部使い放題なので、貧乏性が故全部回っとかないとね。ラウンジの中もすごいし。すごい。

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これやら酒やら食い放題(俗物的表現)

 小さい子3人連れたお父さんがいては~~~~~ってなりました。すごい。俺もそれやりたい。

 ラウンジでお腹いっぱいになったところで夕飯の時間です。外で食べると肩肘張って落ち着かないので部屋食プランにしました。写真取るのも気が引けるし。

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夕飯、刺身でサザエですってよ。すげ~うめ~

 夕飯がめちゃくちゃ多くて時間かかっちゃったん夜のラウンジ行けませんでした…悲しい。お腹いっぱいすぎて行ったか怪しいけど。いや行ったな。

 夕飯後は部屋でお絵描きしたりボドゲしたり。バカでかい風呂入って寝ました。ほんとにそんなに書くことがなかった。とにかく楽しかったなぁってことで。

 朝ご飯の写真もありました。

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朝ご飯。めっちゃうまいので朝でも余裕

 パインアメウォッカ飲んで眠くなったのでこの辺で。

それではまた次回。

 

パインアメウォッカ

quizknock.com

アラスカ旅行回想録3

4日目以降、特にエピソードについては、いつのものだったかわからないものが多い。推測できない部分は適当に割り振って書いているので間違っているかもしれない。

 

4日目

デナリからアラスカ第二の都市フェアバンクスへ。最大の目玉であるオーロラ観測のため、フェアバンクスで5泊する。Regency Fairbanks Hotelに拠点を構え夜通し粘ろうという作戦である。

が、当然せっかくここまでやってきてじゃあ昼間は寝ておくかなんてことはしない。フェアバンクスの観光に繰り出した。はずなのだが、この日の記録がほとんどない。多分、デナリからの移動に時間を費やしたので観光をしていないのだろう。

さて、夜はオーロラ観測に出かけたはず。

宿から車で30分の所にあるCleary Summit Aurora Viewing Areaに向かった。宿からの道を覚えていたのでgoogle mapを辿って調べたところ、どうやらそういう名前の場所だったらしい。小高い山の上にある展望台で、広い駐車場になっている。自分たちのようなレンタカーからツアーバスまで大勢が詰めかけていた。この日だったか忘れたが、キャンピングカーのインド人がスパイスのいい匂いを漂わせていた。

残念ながら初日は観測できなかった、はず。

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頑張って突き止めた道筋

 

 

5日目

Morris Thompson Cultural & Vistors Centerに行った。もっと写真を撮ったはずなのだが、この日の記録も殆ど抜け落ちていて写真がこれしかない。swarmのメモには「土産とか展示とか満載でしかも無料は神」と書いてある。無料だったんだ。イヌイットの人々の生活とか野生動物の生態とかを展示してあるテンプレ的な資料館だったと思う。

たしかここでダルトンハイウェイ方面の道路状況とかの情報を仕入れたはず。地球の歩き方に、ここで情報を仕入れてから向かうようにと書かれていたのだ。

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この日も多分曇ってたかなんかでオーロラは見れなかった。写真がないということはそういう事なのだろう。

 

 6日目

フェアバンクスから東に行ったノースポールという町にあるSanta Claus Houseというクリスマスショップ。駐車場に大きなツアーバスが止まっていて、なんと乗客は日本人の老人たち。通訳まで同伴の金持ち向けツアーに出くわした。ピラミッドの中でも日本人の老人にあったが、よく元気があるもんだと感心する。

その近くのマックで昼食。デナリバーガーなるものがあって大興奮。たぶん食べたのだろうけどどんなだったかは覚えていない。swarmのメモには「日本の味」とだけ書かれていた。

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ここで腹ごなしをした後、「行けるところまで行ってみよう」ということでひたすら北を目指して走る。水曜どうでしょうですらレンタカーでの突入を諦めて現地ガイドを雇ったくらいだが、無理だったら戻ろうということで行ってみた。

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ずっとこんな風景である。道と、それに沿って石油パイプラインが延々と続く。

とりあえずの目標としてダルトンハイウェイ(北極海まで至るアラスカの道路)の入り口を目指す。道中はオフロードと舗装路が混ざった道で、すれ違う車は北極海沿岸の町ブルドーベイから石油を運ぶトラックばかり。すれ違う時にものすごい音と土煙を起こしている。

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そして辿り着いたダルトンハイウェイ入り口。

実は↓の看板があることを知っていたのでここまで行きたいねと話していたのだが、ここに至るまでにだいぶオフロードを通ったこと、この先の道がかなり不安であったこともあり引き返すことに。次は必ずコールドフットまで行きたい。

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これだけ動いた後も当然オーロラ観測へ。前述のポイントへ行くも人が多く、別のポイントを探して移動。周辺を回って広場を探した。しかしそうある筈もなく、近くの小さなロッジに押し掛けるかという案まで出た。(Do you hava a room tonightでいけることを水曜どうでしょうで学んでいたので)

すると、そこを通り過ぎたところに待避所(と言ってもだだっ広い広場)を発見。全く人がいないので光もない穴場だったのでここに陣を張ることにした。俺は防寒グッズに椅子まで持ち込んでいたので寒空の下でも快適に過ごしていたが、セーター1枚の友人は大層寒そうにしていた。

3日目にしてようやく見ることが出来た。太陽の活動が活発になると観測しやすくなるのだが、丁度このあたりから活発だったらしい。10数年に1度規模の大きさで、北海道でも見れるかもとニュースになっていたのを覚えている。

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オーロラと北斗七星(友人撮影)

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観測地点。絶対ここ



 

アラスカ旅行回想録2

3日目

デナリ国立公園を目指し、S Parks Hwyをひたすら北上する。この道はアンカレッジから川沿いに延々と伸びる道である。

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適当に写真を撮るだけで絵になる。

このあたりは記憶があやふや(寝ていたため)だが、快走の結果デナリを少し過ぎたヒーリーもしくはその先のフェリーという場所のレストランで昼食を取った。レストランの写真はあるのだが、その店の名前がわからない。地球の歩き方に掲載されていたはずなので分かる方はコメントしてほしい。レストランとは思えない内装である。

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この日はデナリブラフスホテルというロッジに宿泊する。ロビーの兄ちゃんがすごくいい笑顔で俺の酷い英語に応対してくれたのを覚えている。

さて兄ちゃんは良かったのだが問題は宿である。当時宿に付けたメモによると「4人なのに(ダブル)ベッド2つ!バスタオル2枚!」とあった。荷物削減のためにバスタオルは持参していなかったので困った、どうしたかは覚えていないが。

夕飯もひどい目に遭った。ホテル(坂の上にある)のふもとにある小さな商店Sled Dog Liquor(ここしかないのだ)まで買い出しに行ったのだが、アメリカのスーパーで買える唯一美味いサラダであるサンタフェスタイルが無い。さらに、やけに赤いイチゴを買い、水洗いしたところ「色落ちする」という始末である。どういうこと?

ホテルに戻る坂道を登っていたら通りがかった送迎バスが拾ってくれたのだけ覚えているのだが、たぶんこの時だった、と思う。

 

さてこの日のメインはデナリ国立公園の探索である。

このあたりの記憶もかなりうろ覚えなのだが、まずはビジターセンターを訪問。隣にアラスカ鉄道の駅があり、しかもちょうど電車が止まっているところであった。駅の写真は見つからなかったが、こんな看板の写真があった。なんで日本語表記(しかも正しい)の看板があったのだろうか。

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ビジターセンターの先の道も15マイル先までは自家用車で入れるということだったので行けるとことまで行く。その先にはSavage River Loop trailというトレッキングロードがあり、なかなか歩き甲斐のある道だった。ちゃんと駐車場が完備されているのだが、その手前でかなりちゃんとした検問があったのを覚えている。先に行くにはツアーに参加しないといけないのだが、残念ながらビジターセンターで予約しようとしたところ満席であった。

 ↓参考資料。ビジターセンターで貰った地図である。

旅行先で貰ったパンフを殆ど保管しておいてよかったと思った。見返すだけで思い出がよみがえる。

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4日目以降はフェアバンクスに滞在したのだが、訪問順序があやふやな部分も多いため次記事に書きます。

 

アラスカ旅行回想録1

2017年9月1日-10日にかけて行ったアラスカの回想を旅行記風に書いてみる。

ブログのネタがないと友人に漏らしたところ、アラスカ旅行の話を書けという話になった。当時のメモもあまりないが、記憶とgoogle mapの限り書いてみようと思う。

 

「アラスカでオーロラを見よう」

突然友人から送られてきたこの誘いに二つ返事で乗っかったところから始まる。(君の知らない物語かよ)

 

そもそもこの旅行が実質人生初の旅行だった(幼い頃グアム、サイパン、ロタ辺りに行ったことはあるがよく覚えていない)ので準備が大変だった。パスポート発行にめちゃくちゃ待たされた記憶がある。

さて人生初の海外がアラスカである。北海道の遥か北である。夏なら日本で市販されているダウンで大丈夫とのことだった。ただ俺は寒さに弱い。立ってるのも嫌だ。そこでニット、ウルトラライトダウン、裏起毛のパンツは当然として防寒ブーツと小型の折り畳みイスまで持っていくことにした。結果的には正解なのだが本当に荷物だった。

 

1日目

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初の国際線である。たしか成田から飛んだはず。

母親から「出発時のデューティーフリーでなんでもいいからタバコ買ってきて」と頼まれていたので適当に2箱買った。本当に荷物だったのに帰宅後にこんな重い(?)タバコ吸えるわけないとか言われてやりきれなかった。

3月のライオン四月は君の嘘、聖の青春、僕は明日昨日の君とデートするの4本立てで映画を見て号泣した記憶があるが、時間的にきついはずなので恐らく、アメリカ本土に行った時の記憶と混ざっているのだろう。

 

 

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日本からアラスカのアンカレッジまでの直行便はあるものの、シアトル経由のほうが安価なためそちらを選択。初のアメリカ本土上陸はシアトル・ダコマ国際空港となった。

アンカレッジ行きの国内線を待つ間にレストランでピザを食べた。海外での初食事、初レストランとわからないことだらけで大変だった。確かショーケースの中のピザを取ってもらう方式の店だったはず。

国内線に乗り継ぎする際に必要っぽいチェックイン?をする機械があった。ただ、誰も使い方と必要性が理解できなかったため「まあいいだろう」とスルー。ただ心のどこかで本当にそれでいいのかという気持ちもあった。誰かに確認する術もなかったので何もせずゲートに向かい事なきを得たが、これが海外旅行初のトラブル的なものだと言えるかもしれない。

ゲート前のソファに座っていると、なんと同じ歳くらいの日本人に話しかけられた。彼は1人でアラスカのデナリでキャンプを張る予定だとか言っていたはずだが、その後無事だろうか。

アンカレッジ空港に着き、レンタカー屋を探す。いきなりムースのはく製の御出迎え。

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迷った末、天井にオーロラの飾り付けがされている地下通路を抜けた先に目的のレンタカー屋を見つけ手続き完了させる。馬鹿みたいに広い地下駐車場で荷物を載せていよいよアラスカの大地に出発である。借りた車はこれ。

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出発したはいいものの、道が既によくわからない。とりあえず手近なサブウェイの駐車場に入りwi-fiを拾い、アンカレッジ市内のRamada by Wyndham Anchorageというホテルに向かう。

無事ホテルに着き、荷物を置き、何かをしに出掛けようとロビーにたむろしているとなんと日本人の老夫婦がチェックインしにきてびっくりした。エレベーターを探していたので、「突き当たり行って右です」と教えたら向こうもびっくりしていた。そらそうだ。たぶんスーパー(地図で確認したら宿の付近にウォルマートとフレッドメイヤーがあったのでどちらかだろう)に買い出しに行ったはず。見たときにやべーって言ったケーキのショーケース。

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夕飯はホテルの近く(アメリカ比)にあった侍魚(samurai sushi)という日本料理店に突撃。韓国人オーナー。当時のツイートを見返したら、「酢飯(ごま油飯)に殺される。炒飯を頼んだら量が日本の3倍くらいあった 」と文句を垂れていた。なおgoogleのレビュー曰く★4.5である。

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2日目

ホテルをチェックアウトし、この日は一度、車で2時間ちょっと南下してスワードという港町に向かう。ここから氷河を見れるクルージングに乗る計画である。予約もしていないが、シーズンの終わりだしなんとかなるだろうという甘い考えだった。

港近くの駐車場に止め案内所でガイドブックを見せながらこれのチケットをくれと伝えると、「今日は風が強いから無理だ」と返される。町の外れのアラスカ水族館がなかなか見ごたえあるということなので移動しようと駐車場に戻ると、止め方が悪かったのか違法駐車になっており、やけに高い罰金を払う羽目になるなどひどい目に遭った。

しかしアラスカ水族館は(いまいち内容を思い出せないが)、アラスカの生態系を展示している面白い場所だった。解説もなにも読めないので語ることはない。ディスカバリーチャンネルでアラスカ蟹漁の番組があるが、多分そういうのも展示されていたのだろう、とは思う。水族館を出て、目の前の通りのバーガー屋(google mapを辿ったところ多分Seasaltという店)で昼食。バーガー屋といってもやけに高級そうな内装だった。写真がないが、ハリバット(でかいカレイ)バーガーを食べた記憶がある。土産屋なんかもあったので散策したが、なぜかここの写真が全くないのであやふやである。

結局水族館と昼食のためにいった形になってしまったが、道中の景色も本当にすごいのである。ヴォルビックのラベルみたいだとか騒いだ記憶がある(冠雪した山脈が遠望に延々見えるのだ)。帰り道にトイレに行きたくなってしんどかった。

2日目はAptel Studio Hotelに宿泊。ロビーのおばちゃんに「若いのになんでこんな寒い田舎に来たのよ?」みたいなことを言われたのは多分このホテルだった、はず。

 

 追記、写真ありました。

スワードの看板と港町。あと乗りたかったクルージングのパンフを保管していたのでそれも載せておく。

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鹿児島旅行記

3月7日~9日の2泊3日で行った鹿児島旅行の記録

高校大学と7年以上(なかには中学から)の付き合いの友人5人と鹿児島へ旅行。

高校の卒業旅行で鹿児島に行った際、「社会人一年目の給料が一番高かったやつのおごりでもう一度来よう」と約束した。それを全員が覚えていたので、今回はメンバーを増やして決行したのである。

 

1日目

先週北海道から帰って以来1週間振りの羽田。そんなことは関係なく空港はやはりテンションが上がる。

先週より早い6時半着。チェックインカウンターの前で集合して6人分のバウチャーと預入荷物の札を発行したらものすごい長さで驚いた。保安検査場では先週と違いベルトを外せと言われたが、まさか係員によって違うのだろうか?

7時45分発スカイマーク301便。日々会社でただ苦いだけのコーヒーを飲んでいるので、機内で出されたのは本当に美味しく感じた。ちゃんと味するじゃん。

昼飯は鹿児島空港の大空食堂、鶏飯を出している店がここしかなかった。

具材を乗せた後、鶏スープをかけて食べる。当然肉は沈んでいるので底から掬ってやったが、何を思ったか上澄みだけ掬った友人は「肉どこにあんの?」と困惑していた。

 

空港に併設されている無料足湯に浸かる時間もなく、ここからはレンタカー移動。完全ノープラン旅行で、大隅半島方面に行くこと以外なにも決めていないため、そちらに車を向かわせながらガイドブックで検索。ガラス作りの鳥居があるという神徳稲荷神社に向かうことに。写真で見る限り、赤い千本鳥居の前に立つ大きな透明の鳥居がとても美しいのでとても期待していた。

........しょぼ!鳥居ちっさ!

膝下くらいの小さい看板しか案内を見かけなかったので若干嫌な予感はしていたが、雨のせいでガラスが映えないのは、稲荷だから良い。にしても小さい。写真詐欺とはこのことか。

10分程滞在して出発。海鮮が食べたいということで、20分程行ったところにある、みなと食堂で昼食をとった。名産のカンパチ漬け丼と猫。人慣れしていて擦り寄ってきた。

この後の行き先も決まっていないので店員におすすめの場所を聞いたところ、天文館(地名)行けばなんでもあると言われた。そりゃそうだけどさ。

 

宿は鹿児島市内なので、桜島を経由して戻る。火山灰で埋まったという黒神神社の埋没鳥居。案内看板に黒神地獄と地名が書かれてあり、あまりのかっこよさに車を走らせたものの噴火の危険があり立ち入り禁止。地名の由来について「噴火を神の怒りだと恐れた昔の人たちが、その影響が大きかったところを地獄と名付けたんだろう」みたいなデタラメを友人に吹聴したが、今調べてみたところ、溶岩が流れ出してさながら地獄のようになった地域一帯のことを指しているらしい。当たらずとも遠からず。

フェリーで薩摩半島に渡りホテルへ。18時半に集合して夕飯など決める予定がすっかり寝過ごしてしまい、19時半になっていた。駅前だが、このご時世だし鹿児島だし、ということで適当に見繕った魚菜丸という居酒屋で夕食。案の定ガラガラ。肉も魚も酒も旨かったのだが、鹿児島に来たのだしせっかくなら3M(森伊蔵、魔王、村尾という高い焼酎のこと)全部飲みたい!となった。村尾以外は既に飲むアテがあったので、小雨のなか、近隣店舗で提供している店を探したところあっさり発見。隣の通りにある特攻チキン野郎という店に行った。鳥メロと鳥貴族の合の子みたいな名前なので(失礼)どうかと思ったが、1店目よりもいいものが食べられた。酔っていたので写真を撮り忘れたのが残念だ。

鹿児島ラーメンを食べる時間か無さそうだったので、ここで〆にすることにした。これも近くにあった鹿児島ラーメン豚とろという店。満腹近かったが、とても美味しかったのでぺろりと平らげてしまった。

日付を跨いだあたりでホテルに戻り、大浴場では延々サウナに入る友人らに驚いたりしながら2時前に就寝。

 

2日目

8時過ぎに起きてスマホを見ると、なんと6時45分に「朝飯食いに行く人いる?」と連絡が入っていた。昨日の移動中に冗談交じりで、朝一で漁港まで行けばうまい朝飯が食えるぞと話したのだが、それを別部屋の2人が決行したらしい。なにを食いに行ったのやら。

今日は薩摩半島をぐるっと一周する予定。9時15分に出発。

最初にいったのは鹿児島市内の仙巌園。ここは島津家の別邸で、5年前にも訪れている。当時の写真の大半がどこかに行ってしまったのでどうにも思い出せなかったが、同じ道を歩いてみると部分的に記憶がよみがえった。思い出したのは土産屋と軽食屋で、肝心の展示はそうでもなかったのだが。隣の薩摩切子の工房にも立ち寄った。小さなおちょこでも1万前後で、さすがに手は出せなかった。このあたりで朝飯を食べに行った2人が空腹を訴え始める。聞けば、漁港は閉まっていて、近隣ホテルの朝食もコロナ対策で閉まっていたのだという。

一通り見たあと、山道を南西に進み枕崎で昼食をとった。枕崎お魚センターというところで、2日連続で海鮮をいただく。浸けてないカンパチのほうが、新鮮な刺身を食べるのには合っていると思う。向かいにあった薩摩揚げ屋で揚げたてを買い食いしたあと、海沿いを走り、イッシーで有名?な池田湖を観光。思ったより広く、背後に見える薩摩富士(開聞岳)が良い光景だったが、やはりかなり寂れた観光地。「池田湖土産」的な文字が書かれたボロボロの看板が良い味を出していた。別の土産屋(観光地によくある観光センター的なところ)には大きなイッシー像が配置されているなど整備されていた。ここで発見した西郷隆盛像型の徳利に全員が夢中。男気じゃんけんの結果購入することになった。酒が720ml入って2980円とかだったので悪くない。

JR最南端の駅である西大山駅へ。最南端の看板が立っている以外別にこれといって見所があるわけではないが、○○端好きな自分としてはせっかくなので行っておきたかったし満足。ついでに薩摩半島最南端の長崎鼻にも立ち寄った。ここは竜宮伝説の残る地で、岬には竜宮神社もある。駐車場は付近の商店の敷地内で、各々の店員が店前に出てきて誘導してくる。要するに自分のところに止めさせて、ついでに買い物させれば売り上げの足しになる、というわけで、一年前にエジプトで似たような光景を見たなと思った。あそこまで乱暴じゃなかったけどさ。長崎鼻灯台を過ぎると、崩れた道が所々にある程度のそこかしこに潮溜まりのある岩場。ちょうど塩が満ちてきている時間帯で、(見える限りの)先端まで行くには波被りする細い岩場を渡る必要があった。さすがに行かないだろう、と思っていたら革靴で突撃する友人。転ぶだろうなと思っていたら、帰り道に別の友人が岩場で派手にすっころんだ。

車を止めた商店で買い物をすると駐車代無料ということで、男気じゃんけんの結果白波という焼酎の5本セットを購入(今回は回避した)。今晩の飲み会に消えるだろう。

さて、負傷した友人の服と絆創膏を買ったあと、いよいよ今回のメインである宿、白水館に到着。また来よう、という約束をしていたのは実際はここに来るものだったが、まさか本当に実現するとは。

この宿、いわゆる高級旅館である。駐車場から玄関に向かうと、まだ相当の距離があるところから荷物を受け取りに来てくれる。ロビーに入った友人曰く「やばいところに来てしまった」本当にそう思う。前回の反省点として、”部屋に入って取りあえずお茶入れて飲んでたら、部屋まで淹れにきてくれて大恥をかいた”というのがあったので今回は少し待ってみたのだが、来る気配がない。仕方ないので夕飯まで大浴場に行くことにした。

別館(部屋から徒歩5分)の大浴場は、大風呂に橋が架かり、橋を渡ると露天風呂に繋がるという、そこらの大浴場とは一線を画する規模だ。この時は時間がなかったので簡単に済ませ、夕食を食べに行く。食事券を見ると、「料亭 味彩」と書かれている。料亭???一番奥の座敷に通されると、the高級な料理の数々。「このような時期に足を運んでいただいたということで森伊蔵をサービスしておりまして…」ということで、予約しておいた森伊蔵と合わせて2杯もいただいた。どうにもこういう高級な場所は不慣れなので、普段ならバカ騒ぎするメンバーでもお行儀がよくなってしまう。いいことだけど。夕飯のあとは再度大浴場。今度は露天風呂、サウナ、その他さまざまな浴槽を楽しんだ。23歳にもなってサウナで我慢大会をしたり打たせ湯で修業をしたりするとは思わなかったし、それを楽しんでしまうあたりが成長していないのを実感させられる。

部屋に戻って宴会。枕崎で買った刺身、道中仕入れた酒、そして東京から持ち込んだ魔王一升瓶。これで焼酎3Mフルコース制覇である。個人的には森伊蔵が一番うまかった。相も変わらず酒を飲みながら大富豪大会。今回は調子よく貧民~富豪を渡り歩くことが出来た。

 

3日目

9時前辺りに朝食バイキング。正直朝飯は食べないのだが、高級旅館の朝飯は食べるべきだろうという貧乏人根性で食べに行った。うーんまあ普通。カレーとケーキはうまかったけど。この後、10時チェックアウトのために準備していたら会社から電話がかかってきた。どうやら有給申請が確認できなかったらしいが、後日ちゃんと証拠を突き付けて事なきを得た。

最終日の今日は、明日の出勤のことを考えて15時のフライトなのであまり時間がない。どうしても食べたい鹿児島名物しろくまを食べに、その発祥の店であるむじゃき本店へ行った。山の様なかき氷が運ばれるのを見た友人は驚いていたが、なんだかんだと全員完食。私が注文したのはチョコレート味で、ふわふわの氷に甘すぎないチョコソースとマシュマロが合わさってとてもおいしかった。これを昼飯替わりとして空港へ戻る。

空港では思ったより時間が差し迫っていて、速足でお土産を購入。ラウンジで焼酎の試飲があったので行きたかったが仕方ない。無謀にも昼飯を食べに行った2人を置いて一足先に保安検査場をくぐって待つものの、一向にやってこない。結局出発ぎりぎりに乗ってきたが、旅の最後に肝を冷やした。16時40分に羽田到着。

北海道旅行記 ~第二次卒業旅行~

今年卒業する同級生の卒業旅行。
 
前回北海道に行ったのは2018年の夏。アメリカ横断から帰国した翌日に、震災直後の札幌を観光したきり。なので観光客に溢れる北海道を知りません。今回はどんな感じなのかなぁとわくわくしていました。
 
2月の北海道(日本)は、武漢肺炎の影響で非常に閑散としていました。28日には札幌に非常事態宣言が出るなど、またもガラガラの北海道観光となりました。
そんな時に旅行に行くなという声もありましょうが、せっかくなので旅行記を認めます。
 
<旅程>
1日目:
 
2日目: 
 
3日目: 
ホテル→小樽→新千歳
 
 
2月28日
地元で友人(卒業生)と合流してハイウェイバスに乗り、空港では先輩と合流して羽田発新千歳着8時40分のスカイマーク705便へ搭乗。朝御飯は空港の外れにあるサブウェイにしました。
新千歳に定刻通り、10時20分に到着。ファイターズのカフェにテンションが上がります。f:id:aiz4ryhe:20200305075329j:image
 
ここから送迎バスでノーザンホースパークに向かいます。大型のバスに乗客はわずか4人(私たちを除けば1人)。あまりにも少なすぎる客に若干の不安を覚えつつも到着すると、現地には売店のおばさん以外の人がいません。大きなガラス戸に映った自分たちを見て「あ、他にお客さんいるんだ~」と思うくらい。同じ勘違いをしてて面白かった。
ともあれ、営業はしているので厩舎の見学。
馬、かっこよ!面長の人を馬面なんて馬鹿にしますけど(馬馬しつこいな)、筋骨隆々それでいてしなやかなサラブレッド、本当にかっこいい。
13時からのポニーショーを見るためにメインホールに入ると、恐らく客全員(10人程度)が集まっていました。初めて見るポニーショーですが、後ろ足で立ったり、狭い台に乗ったり、顔芸したりと多彩な芸を見せてくれました。大きなサモエド犬に興味津々のポニーが大変かわいかった。
馬そりにも乗りました。最後に馬を見たのはカイロでしたし、その時はなぜか街中を馬車で闊歩したのでこうした正常な馬そりは何年ぶりでしょうか。人間なら60歳くらいという大きな馬に引かれて雪道を滑るのは中々にそれっぽさがありました。
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さて再度バスで空港に戻り、JRで札幌市街へ。ここでレンタカーを借りて、日本一危険な動物園とも言われるノースサファリサッポロに向かいます。雪道の運転は初めてでしたが、今年は暖冬でもあり大通(地名ではない)の路面はしっかり除雪されていたので普通に走れて一安心。
今夜はサファリ併設のコテージでバーベキューの予定なので、道中のスーパーで食材を買い込みました。
 
除雪されていない完全な雪の山道を走り到着。このコテージでは、希望した動物と一緒に過ごせるサービスがあり、今回はプレーリードッグ(あくびちゃん)スローロリスをお招きしました。
到着しても未だ雪が降り続けています。バーベキュー器具も真っ白になっていましたが係の方が払ってくれたので、外で焼いて中で食べることに。火を弄っていたら、隣のコテージに泊まっていた家族連れのお父さんに話しかけられました。去年はテントに泊まって全然火が付かなかったとか。
その後、宿泊するともらえる定山渓温泉の入湯券を手に再度雪道を進みます。最終入場10分前に駆け込むと、見事に半貸切状態。雪の降る中、1人で浸かる広い露天風呂は大変気持ちよかったです。広いお風呂、つい泳ぎたくなるよね。
 
コテージに戻りあくびちゃんとロリスくんを愛でながら、サッポロクラシックとホタテを食べました。

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2日目
ベッドが足りずエアーベッドで寝ていたのですが、途中栓が抜けたのか起きたら全身がベッドに埋まっていました。その上、窓際だったため膝から下が完全に冷えきっており、動かした瞬間太腿を吊る最悪の目覚め。あくびちゃんがケージの外に出たそうにカチャカチャ引っ掻いていました。友人曰く「お前が皿洗ってくれてるのかと思った。」確かにそんな音です。
 
10時半頃チェックアウトして動物園。日本一危険とはどんなもんかというと、ライオン以外の動物に真っ当な檻がありません。キツネ、アルパカ、ヤギあたりは低い塀に囲まれているだけなので触れてしまいますし、ふくろうは繋がれているだけ、熱帯の動物がいる小屋に至っては放し飼いです。
餌やり体験はよく見るアクティビティですが、まさかワオキツネザルが肩に乗ってくる餌やり体験が出来るとは思いませんでした。私はキツネのだっこ体験をしましたが、しっぽのふさふさ感と丁度よい体重が、普段抱いている猫とまた違って大変可愛いものでした。
その後、ハスキーの犬ぞりを体験。昨日の馬そりと違って全身で風を切って進む爽快感のあるアクティビティでした。
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札幌市街に戻り、レンタカーを返却。札幌住みの友人が話していたいちご大福を買ってホテルに向かいました。
夕飯はすすきのの居酒屋。居酒屋か?ってなるくらいのご飯が食べられて満足です。ナポリンサワーみたいなご当地酒も美味しかった。f:id:aiz4ryhe:20200305080409j:image
 
3日目、最終日
小樽まで行って観光した後、一気に新千歳まで戻ります。
朝、ビジホのバイキングとは思えないクオリティの食事をしてから電車南小樽駅へ。普通にロングシートなんですね。南小樽駅、ボロボロなのに普通にセブンイレブンが入っててびっくりした。
 
最初にオルゴール堂。最近の歌のオルゴールがたくさん売ってました。二階の高級オルゴールのフロアでは400万超えの大きな物が置いてあってびっくり。100円で1曲流れる仕組みで、なるほど確かに他のものと音が違いました。重厚感っていうんですか?迫力があります。
 
 
お昼は友人におすすめされたポセイ丼で。
欲張って特盛(米とネタ1.5倍)にしたらめちゃくちゃ多かったです。普段東京の安い回転寿司とスーパーの刺身を食べ慣れているので、2,600円でこんなに厚い刺身を食べられて感動しきりでした。
北一硝子でガラスペンやグラス、アクセサリーを眺め(私はなにも買いませんでした)、再度オルゴール堂を覗いてから電車で新千歳に戻ります。改札のベンチに座っていたら、「ただいまより○○新千歳空港行きの改札を行います」的なアナウンスが流れてびっくり。どんなシステムなんですかね?帰りの電車はボックス席でした。
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空港で荷物を預け入れてからお土産物色と夕飯。以前来た時たこわさを買ったのを思い出し、今回はいかとうにの和え物を買いました。あとサッポロクラシック
夕飯は、これまた友人におすすめされた白樺山荘というラーメン屋で、ホタテや蟹まで入っている、高級で健康的なラーメンをいただきました。

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20時発の飛行機で羽田へ。25分程前倒しの21時15分頃到着。
 
 
 
 

広島旅行記 3日目 呉+江田島

3日目

無事台風が去り晴天。交通網や施設も通常通り動くようで安堵した。

広島駅のロッカーに大荷物を預け、0805広行きの電車に乗る。毎度こういうボックス席って基本的には不便じゃないか?と思ってしまうのだが、単にロングシートにしか触れ親しんでいないからだろうか。隣に座ったおっさんも一人旅をしているようで、一心不乱に呉の旅行雑誌を読みあさっていた。

さて大和ミュージアム入館すると、目の前に巨大な戦艦大和の模型が。卒論を旧日本軍で書いた俺はにやけが止まらなかった。基本的に俺は水族館やら博物館やらに行くと説明文をがっつり読み込むタイプなのだが、ここは特に真剣に読んでしまい、目安3時間のコースを4時間半かけて廻った。

こういうことを言うと時々勘違いされるが、近現代史ゼミ生≠軍オタなので正直展示されている兵器については「なんかの史料で読んだ」とか「艦これで見た」くらいの感想である。その中で特に目を引いたのが回天乗組員の遺書、坊ノ岬出撃前の遺書etcの一次資料であるが、これは俺の卒論がそういったところに深く触れている内容だったからであり、卒論を書く前にここを訪れておくべきだったと酷く後悔した。

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見学を終え退館すると、観艦巡りというツアーの客引きが。1300円で遊覧船から呉港に停泊している自衛隊艦艇を見学できるというので急遽参加することにした。

正直値段的にもそこまですごいものではないだろうと思っていたが、見くびっていた。停泊していたヘリ搭載護衛艦の″かが″などの自衛艦艇を間近で、しかも下からという中々珍しい視点からの観覧が出来た。建造中のタンカー、最新鋭の潜水艦にも接近してくれるなどかなりのコスパを誇るツアーだった。

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さて、江田島に渡るにはフェリーか高速船に乗らなくてはならない。見学のためには15時までに江田島術科学校に着く必要があるが、その近辺の便は14時着の高速船か1442着のフェリーである。切符売り場の案内板には42分着に乗れば間に合うと書いてあるが、調べると集合場所に着くのは58分……本当か?と訝しむも、「皆さんこれで行かれますよ」という日本人を服従させる言葉を言われたので、じゃあそうかとフェリーでいくことにした。が、待合室にいても観光客らしき人を見かけない。船内に明らかに同族が1人いるが、本当に間に合うのだろうか?不安である。なにせ昼飯を食べる時間を切ってまで行くのだから間に合いませんでしたでは済まされない。

 

……間に合わないじゃないか。厳密には間に合ったがバス停から走らなきゃ間に合わなかったぞ。15時に正門をくぐり、ギリギリで駆け込む羽目になった。もし行く方がこの記事を読んでいるのなら、14時着の高速船でいる島を渡ることをおすすめする。幸い島にはコンビニを始め店がたくさんあり、館内も展示物があるので時間は潰せるはずだ。

肝心の90分のツアーの内容だが、大変満足できるものだった。広報案内の方のガイドで進むのだがまぁ話がうまい。海軍兵学校時代の逸話から現代に至るまでの様々な話を聞かせてくれた。赤煉瓦の建物は明治期の建設当時から使い続けられている幹部候補生教育施設、白い御影石の建物は占領期にプロテスタントの教会としても使われた大講堂。赤煉瓦の建物は144mの廊下が伸びており、艦内生活を模したものだそうだ。また、教育参考館という施設内の見学では一礼と脱帽が義務付けられるなど″らしい″ところもあった。前知識があると尚面白いと思うので、ぜひ学術書の一つでも読んでから訪れてもらいたい。

余談だが、朝電車で隣に座っていたおっさんが偶々同じツアーに参加していた。この日の俺は若干目立つ格好をしていたので恐らく向こうも気付いていただろう、気まずい。

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さて1659発のバスで港に戻り、1715の広島行き高速艇に乗り込み帰路につく。地方の整理券を取るタイプのバスの乗り方が何度やっても覚えられない。早くICカード普及率100%になってほしいものだ。広島への高速艇は1060円。呉→江田島が390円(フェリー。高速艇は550円)なのを考えると高いが、距離もあるので仕方ない。広島港から広島駅までは路面電車で向かう。ここはPASMOが使えたので一安心である。どうでもいいが、路面電車のある道の走行ルールを完全に忘れたのでそういう地方でのレンタカーは絶対にできないなと思う。1819広島駅着。新幹線は56分なのでその間に夫婦アナゴ飯という駅弁を購入。人気No.2らしい。

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新幹線に乗り込み東京へ。京都以西の新幹線に乗ったのは初めてだ。ふと、久しぶりに「帰りたくないなぁ」と思っていることに気がつく。ここ最近の旅行は長期の海外ばかりだったので、正直「ようやく日本に帰れる」という思いも強く帰国が嫌ではなかったのだ。広島がとても良い街で、台風のせいで消化不良ということもあり尚の事そういう気持ちになったのだと思う。

2256、東京駅着。

広島旅行記 2日目 市内観光+台風

2日目

朝から台風直撃のはずだったのだが、私は相当な晴れ男なので午前中は曇りであった。この隙に徒歩圏内の観光地を見て回る。

9時頃宿を出て、広島護国神社に参拝してから広島城へ。そこまで城に興味関心があるわけでもないのに旅先にあれば行ってしまうのは日本史専攻の宿命か。ただこの広島城、はっきり言ってしょぼい。規模が小さいのは仕方ないとして、それを強引に博物館的城内にしたものだから展示品が少ない、知っている前提の省きすぎな説明という小田原城に匹敵するしょぼさであった(直球)

さて1時間ほどで退館し、そろそろ雨かと思いきや未だ降らず。交通網がストップしているので仕方なく再度原爆ドームへ行き、無料で入れる範囲だけ再見学した。原爆死没者追悼平和記念館にも立ち寄ったが、そこで東欧の方が声をあげて泣いていたのが印象的だ。慟哭とはああいう様子を言うのだろう。ここで丁度黙祷の時間を迎えたので黙祷を行う。毎年自宅でやるより余程気持ちが入ったと思う。

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その後、ようやく小雨がちらつき出した市内を、商店街目指して歩く。地方のまだ活気のある商店街が好きなのだが、台風の影響で終日営業を見合わせている店が多くどこにも入れない。あまりのやることのなさにゲームセンターで″広島勢″(私が好きなチュウニズムというアーケードゲーム広島県内でプレイすると獲得できる称号)を取ろうとするも、ゲームセンターすらやっていなかった。13時頃、丁度客引きをしていた若貴というお好み焼きの店に入り広島スペシャルとかいうものを食べた。昨日の夜のものよりボリュームも味も良かったのでなんだか損した気分になる。

店を出ると突然の豪雨。店も交通機関もやっていないなら何もやることはないので仕方なく宿に戻ることにした。地下街も百貨店も閉まっておりこの有様である。

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コンビニで宴会の準備を整え、明日の計画を立てつつ就寝。買いすぎた。

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広島旅行記 1日目 厳島神社+市内観光

8/14〜16の2泊3日で広島に一人旅をしたので、それを書き留める。


1日目

例に違わず自宅の近くから羽田へのリムジンが出ているので、早朝の便に乗車。7時過ぎに到着予定だが、飛行機は0920。国内線なのに早すぎるが、これには訳があるのだ。

道が空いており、0640に羽田第二ターミナル着。せっかくめちゃくちゃ早めに着いたので、喜び勇んで人生初の空港ラウンジを利用した。敢えて早めのバスを取ったのはこれが理由。一度でいいから入ってみたかったのだが複数人で旅行するとなると中々入りにくいので、今回の一人旅で利用すると決めていたのだ。

中々良い。ソフトドリンク、クロワッサン、コンセントが自由に使えて座席間も広い。ただ利用料金(1400円)の価値があるかと言われると若干首を傾げたくなる。特典等、無料で利用できる人は使ってみてほしい。

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7時前に入った時は席も随分空いていたが、ふと気がつくと入り口に待機列が出来ていた。入る時は「新卒一年目の若造が浮きやしないか」と思っていたが、普通の家族連れやスポーツ紙を広げるおっさんもいたのでそんなことはなかった。冷静に考えてみれば1400円くらいで省ける客層は高が知れているし、そんな客層はそもそも空港を利用しない(強すぎる偏見)ような気もする。

ボーディングが遅れて0920発が0930発に。これはイキりだが、直近で乗った飛行機は11回全て国際線だったので、機内で日本語が通じることに若干の感動を抱いた。俺は航空機内で必ず流れる、機内マナーや緊急時の対応を説明する映像を見るのが好きなのだが、今回は舞妓さんと歌舞伎役者が出演するもので中々良かった。

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1045広島着。台風がすぐそこまできているせいか乱気流に巻き込まれて気持ち悪くなった。

広島空港から広島駅までリムジンバス。1340円。事前情報だと関東圏の交通系ICカードは使えないとあったので切符を買ったが、どうやら普通に使えるらしい。

広島駅から1215発岩国行きの電車(4両編成)に乗る。車内は外国人観光客がかなり目立ち相当混雑していた。

1250、宮島口港着。大雨。傘が10秒で壊れて萎える。

ここからフェリーに乗り宮島に渡るが、この時期は鳥居に接近する航路を取るようで楽しみだ。ちなみにこのフェリーもPASMOで乗れた。

 


フェリー船内放送「現在、大鳥居は修復工事を行っており周囲に骨組みが〜」

 


はい。

大雨、工事中、蒸し風呂のようなうだる暑さ。それを意に介さず我が物顔の鹿。ふらふらになりながら大鳥居周辺を散策した。道中見かけた、日ハムのホームユニを着た小学生が異端審問にかけられないよう願う。

14時頃昼食。鯛釜飯を頂き、紅葉屋本店で揚げもみじ饅頭(瀬戸内レモン)を食べた。ほのかな酸っぱさが残るクリームと揚げたての衣がとても美味しかった。

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思ったより(雨でロープウェイが止まっていたこともあり)見所がなくなってしまったので、予定より2時間早く切り上げて広島市内に戻る。翌15日は台風が直撃する予報なので、見れるなら今日中に市内観光を済ませておきたいのだ。

 


宮島口から広島に戻る電車の車内放送「15日は鉄道の運行を全面見合わせることになりました」

 


はい。

本格的に15日はホテルに閉じこもる一日になりそうなので、何としても今日中に原爆ドームくらいは行く必要が生じた。

さて15時頃に広島駅に着くと、なんと雲が切れ青空が垣間見えるほどの天候。ホテルにチェックインして荷物を置き原爆ドームと平和記念館に行くと、やはり国内外から多くの方が集まっていた。半年前まで日本史学を専攻していたとはいえ、私が記念館の内容について語るのはあまりにおこがましいので書かないが、とても他所ではやらない(やれない)だろう戦争の悲惨さを生々しく伝えていた。つい、それらの展示を食い入るように眺めてしまい気付けば19時。いい加減夕飯を食べてホテルにこもらなくては大雨に襲われてしまう…のだが、未だ雨が降っていない。余裕をぶっこいた私はふと、SOGOの中にポケモンセンターヒロシマの看板を発見、一ポケモンファンとして足を運んだ。広島東洋カープにちなんだコイキングと赤いギャラドスのグッズが売られていた。

ホテルに戻る道すがら、鉄ぱん屋弁兵衛という店で夕飯。居酒屋だったのでお通しが出るのだが、それがお好み焼きのめっちゃちっちゃいやつで甚だ驚いた。どういう文化なんだ。

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さて無事、曇天の道を雨に怯えながらも歩き宿に到着。人生初のカプセルホテル。どうかと思っていたが秘密基地のような感があり中々どうして楽しいもので、下のコンビニで酒とつまみを揃えれば我が領土に早変わりである。

どうでもいいが、狭いエレベーターに乗り合わせた外国人と同じ階で降りる時先を譲ったところ「どうぞ」ってめっちゃ日本語で言われ、俺はなぜか「サンキュー(精一杯の発音)」で返してしまって死ぬほど恥ずかしかった。明日は少しでも活動できることを願い就寝。

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ヨーロッパ周遊+αの旅⑩ イタリア編2~帰国

 卒業旅行16日目

最終日。フライトが19:50なので15時頃までローマ市内観光を続ける。今日は8時にチェックアウトしてローマ最大の駅テルミニ駅に荷物を預けて真実の口、コロッセオやカラカラ浴場を見に行く。真実の口に相当並ぶと思っていたが朝早かったこともあり10分くらいで写真を撮ることができた。見張り役のおじさんがとてもノリの良い人で、私が口に手を入れた瞬間大声で驚かしてきたり全員の集合写真を自分から撮ってくれたりと親切にしてくれた。真実の口はマンホールの蓋だった説が有力らしいが、なぜそんなものが教会に祀られるようになったのだろう。

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コロッセオに入るためのチケットを買いに行く。コロッセオ入場券は周辺の関連遺産のそれと共用なのでコロッセオ以外で買ったほうが良いと情報を入手していたのでそうしたが、結局ものすごい行列に並ぶことになった。荷物検査のおじさんが行列ができているのに自分たちに「エジプト行ってきたのか!」とか話しかけてくるものだから困った。苦労して手に入れたチケットを手にコロッセオに向かうと、今度は案内のお姉さんにそのチケットでは1410までは入れないと言われる。コロッセオのチケットは裏面に入場可能時間が書かれていて、その時間にならないと入れないようだというのを現地で知ることになった。

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そこでコロッセオに入るのは諦めて、テルマエロマエで有名になった近場のカラカラ浴場に行くことに。浴場は当然もう水は張られていないから名前通りカラカラなのだが、日本人観光客もちらほらいてこの辺一帯の観光客人気を感じる。2000年前にこれだけ立派な大衆浴場を作れる古代ローマの技術と思考にびっくりする。

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最後の食事が空港飯は味気ないので、早めに観光を切り上げて昼飯を食べるためSANTIというテルミニ駅近くのレストランに行った。ペペロンチーノが€8だかで食べれるとても安いけれど美味しい店で、メニューがイタリア語と妙な日本語だけ。大瓶ビール4本を昼間から飲む日本人は彼らの目にどう映ったのだろう。アメックスが使えると書いてあるのに使えなかったり、VISAで払おうとしたら店員のおじいちゃんがカードリーダーの使い方を理解しておらず、若い店員と喧嘩を始める事件があったけれどいい店だった。

送迎タクシーの待ち合わせ場所に向かう途中の街角でようやくジェラートを食べることに成功。チョコミントを歯磨き粉味とか言いやがる奴は許さん。

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17時頃空港着。お土産を物色しつつ19:50の飛行機に乗る。ボーイング787の最新機体だった。帰りも中国国際航空なので北京乗り換えだが、実際途中で降りれた方が休憩になって私は好きだ。なんと5人全員席がバラバラの席で、ヨーロッパ人夫婦に挟まれた席になってしまったが一体どういう並べ方をしたらそうなるんだろう。この夫婦がトイレに立つタイミングで同時に立とうとしたのに結局10時間一度も立ってくれなくて結構辛かった。

普通機内食を出されるときは”beef or chickin?”とか聞かれると思うし、こちらもそう構えていたのに”Chinese or Western?”と聞かれて意表を突かれたしまった。

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北京国際空港で2時間ほど待機。この国はGoogleツイッターも使えないのでやることがなさすぎる。寝たら飛行機を逃す予感がしたので気合いで起き続けて15:15に搭乗。ローマ→北京間と打って変わって昔の機体でシートモニターが時代を感じさせてくれる。機内食が出されたが、まだ食べ終わってないのに勝手に下げられて困惑した。確認を取ってほしい。おまけにCAが中国語で話しかけてくるので全くわからず、英語で返してもどうも理解してくれていないようだった(理解できないはずないので私の発音が変だった可能性が高い)。

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結局21時頃羽田空港に到着。中々荷物が出てこなくてロスバゲを疑ったが最後の最後にまとめて出てきてくれた。リムジンバスが最寄り駅まで出ているのでチケットカウンターに行くと当然のことながら日本語が通じることに少し感動した。

帰宅後、荷ほどきをするとスコッチがないことが判明。北京空港で引っかかったのだろうけど心底悔しい思いをした。

 

 

 

6月9日、追記

割れないようにウルトラライトダウンに包んでいたスコッチを見つけた。北京空港の税関に謹んでお詫び申し上げます。

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ヨーロッパ周遊+αの旅⑨ イタリア編1

卒業旅行14日目

カイロからローマに向かう。

5:30起床。6:30からホテルのタクシーで空港まで送ってもらう。本当は6:30起床の予定だったが、休日で道が大変混むというので1時間早めてもらった。

カイロ国際空港はさすがアフリカの玄関口だけあって免税店やレストランが充実していた、なのになぜかバーガーキングに入った。エジプトでは生野菜は食べないと決めていたのについうっかりバーガーの生野菜を食べてしまったのでイタリアでお腹が痛くならないか不安だ。

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免税店でばら撒き用のお土産を買おうと思ったがエジプトらしいお土産はどれもイマイチ美味しそうではなかったのでピラミッド型のチョコを買うだけにした。ここでもステッカーは売っていなかったのが残念だ。店員のイケメンのおっさんに「ハロー你好こんにちは」と対アジア人挨拶フルコンボをされて面白かった。

10:10発の飛行機なので油断していたがなぜがボーディング開始が9時だったので慌ててゲートに向かう。なんでそんなに早いのかというと搭乗直前に本格的な持ち物検査があるからだった。なら最初からちゃんと荷物検査をしてほしい。14時頃ローマ着。一回の旅行で二回ヨーロッパに入る旅程も珍しい。ルクソールからの飛行機で出たおいしいケーキがまた出されたので嬉しかった。

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空港からホテルへの道を探してふらふらしていると、タクシーの運転手に話しかけられた。エジプトに慣れていたので丁寧に「宿まで直接€15で行ける、チップは要らない」などなど明朗会計を受けて安心した。

宿前に着くと普通のマンション。普通のホテルではなくairBを選んだのでオーナーが来ていなかったので鍵がかかっていて中に入れなかった。正直かなり疲れていて早く部屋に入りたかったので堪えたが、30分ほど待ったらバイクで颯爽と現れた。彼の英語はとてもわかりやすく、まるで教科書の登場人物のような英語だった。その上、観光上の注意やおすすめのスポットなど諸々説明してくれて宿の設備も(エジプトと比較してしまう補正もあり)とても良いものだったので彼とイタリアへの好感度が一気に跳ね上がった。イタリアは完全にノープランなので彼のくれたマップを元に明日以降の予定を組み立て、18時頃夕飯を買いに外出。

正直この宿の周辺はあまり治安の良さそうなところではないので不安だったが、タクシー運転手が教えてくれたBONCIというピザ屋へ行く。ピザの量り売りをしている店で非常に有名らしく、実際店前には人混みができていた。この店は買い方が難しかった。まず入り口の整理券を取る。→上の液晶に番号が表示されているので、自分の番号になるまでに何を買うか決めておく。→番号になったら店員に「どれをどのくらい(何切れ)買うか」伝える(指差しと英語で通じる)→量りの横のレジで精算。という流れ。大勢がショーケースの前にごった返しているので、予備知識なしの我々はどこが列なのか全くわからず右往左往してしまったのでもし、これを読んだ方が行くことがあれば参考にしてほしい。とても美味しいピザだった。

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今晩の夕食はピザと帰りに買ったソーセージ、ビール、ワイン、生ハム。イタリアらしいものを取り揃えた。なぜかオーブンを使うなど食材に手を加えるのが私の仕事になっているからピザを焼いた。旅行中2度もピザを焼く人がいるか?

明日は6:30起きだというのに、寝る前になんだかんだと話していたら午前2時頃になっていたらしい。最後の方はうつらうつらしていたので何を話したかすらよく覚えていないけれど明日に響かないように願った。

 

卒業旅行15日目

2週間を超えた。今日は7:30に家を出てバチカン市国→トレビの泉周辺の観光をする。バチカン美術館には有名なアテネの学堂やシスティーナ礼拝堂天井画などがあるのでローマに来たら行きたいと思っていたが、ここまでの旅行で手一杯で予約をしていなかったので9時開館の前に並ばなくてはいけない。

列に並ぼうとすると外国人から「予約はしてあるのか?してないなら俺たちのオフィスに来て優先券を買え、並ばないで入れるから」と話しかけられるが、どうせ転売か詐欺なので全てパス。この時間に並べばそんなかかることはない。優先列の様子を見に行った情報によると自分らの列より伸びていたとかいないとかなので正解だった。実際5分ほどでチケット購入までできた。さて中は、正直そこまで彫刻とかに興味があるわけではないのでなんとも言いにくい。ただ天井画や壁一面の壁画を眺めているだけで圧倒されるし、多少はキリストとかその辺の話を知っているから絵が伝えたいこともなんとなくわかる。洗礼を受けたわけでもないのになぜか心が綺麗になった気になるのは日本人的だと思う。バチカンと言われて思い浮かべる広場にも行った。

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昼食はバチカンの近くにあったsatiricusというイタリア料理店で食べた。本場のフェットチーネを食べてその食感(と巻きやすさ)に大ハマりしてしまった。

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食後は散歩しつつトレビの泉に向かう途中、パンテノンやスペイン広場などがあるのでそこを回る。ローマの休日は以前一度だけ見たことがあるので実際に行けると思うと楽しみだったが、階段でジェラートを食べることが禁止されていることや別に自分が真似したところでどうにもならないことを思って悲しくなった。散歩中、レストランの前を通ると毎回しつこい客引きに合う。「もう昼飯は食べた。」と言っても「じゃあ名刺渡すから夕飯食いに来てくれ。」と続くので商魂たくましいのかと思いきや、調べたところおしゃべり好きな国民性なだけということだ。

さてスペイン広場を実際見ると確かに綺麗な噴水に白い階段と街並みで良い場所だったがそこまで特徴的な広場でもなく、いわゆるがっかり観光地だった。噴水の水を飲んでいる人が多かったのは衝撃的だ。

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トレビの泉はやはり大勢の観光客がいてみんなコインを投げ込んでいた。¢50コインを投げ込んでいる横で友人が5円玉を投げ込んでいた。お賽銭じゃないんだから。

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もう少し見所を回る予定だったが、全員の体力が限界を迎えたので地下鉄で宿に戻る。全員がベッドに倒れこんで動けなくなったが夕飯を食べに行かないといけないので、夜食の買い出しも兼ねて宿近くのspaghettiという直球ネームのパスタ屋に行きここでもシーフードのフェットチーネを食べた。宿近くで美味しくて雰囲気のある店というみんなの要望に合わせて探した店だったので満足してもらえて嬉しい。

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スーパーではビールとワイン、生ハム、渦巻きソーセージを買ったが、結局ビールを飲む前に全員力尽きて寝てしまった。

 

ヨーロッパ周遊+αの旅⑧ エジプト編4

卒業旅行13日目

7時起床。7:10に起こしにいったらうるせぇといわれたので静かにする。食堂で朝食を食べに行くと、今日のピラミッドツアーの日本語ガイドが集合30分前から来て話しかけてきた。ルクソールは2時間遅れたりこっちでは30分早かったりなんなんだ。ちなみに朝食にトーストを頼んだらレンチンした熱々の食パンが出てきたのだがあれは何だったのだろう。

大型のバンに乗り込みツアー開始。ピラミッド→太陽の船博物館→ラクダ乗り→スフィンクス→香水店→パピルス展示→昼食→エジプト考古博物館→ナイル川クルーズの1日ツアーだ。流石にこの時間英語はきついので日本語ガイドを申し込めて良かった。

ピラミッドまでの道中、彼が若干不自由な日本語でエジプト情勢を教えてくれる。「エジプトの大統領は軍人出身だから全員厳しくて若者は嫌いだ、若者は自由を求めている」「この国の警察は仕事しないし賄賂も受け取るから良くない」「日本の援助で大学や博物館を建てられてるからこの国の人は日本が好き」など日本上げもしてくれた。

ピラミッドに着くとさすがに観光客でごった返していてゲートも行列だったが、ガイドが受付の警察に金を握らせて別の入り口を開けさせてすんなり入場することができた。嘘だろ。

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追加料金を払い一番大きいクフ王のピラミッドの中に入る。前屈みになり細く急な坂道を登っていく。写真でしか見たことのない大回廊、王の間を実際に見ることになるとは思わなかったし最奥に辿り着いた時は「ついに来たぞ」と感動した。大回廊ではどこかの調査隊が機械を操作していたり、各所の照明にNAGOYA universityと書かれていたのが印象的だった。帰り道洞窟の天井に頭を打って抑えていたら外国人のおばちゃんにすごい心配された。内部の急勾配を登っていると、日本人の老人ツアーとすれ違った。あの年でピラミッドに来るバイタルのある老人にならなってもいい。

ピラミッドの後は太陽の船という、ファラオが死後の旅路で乗る巨大な船を見にいった。発掘された本物が丸々展示されており、5500年前に作られた事実と、それが今まで完璧な形で残ったことに驚いた。窓からピラミッドの上で寝ている野良犬を見て「生きてるのか死んでるのかわからないけどあの犬はずっとあそこで寝てます」みたいなことを言われた。贅沢な寝床だ。

太陽の船を出るとラクダに乗る。エジプトに来たからにはこれに乗らざるを得ない。5頭が連なり砂漠の中を進むルートだ。はっきりいうとラクダは馬のような、乗る生き物ではないと思った。乗っているラクダが立ち上がると落とされるかと思うほど前につんのめり、段差を超えるたび物凄い揺れが起きる。ラクダの上で自撮りでもしようと思っていたがスマホを落としかねないので出す勇気が出なかった。ただ牽引したおじさんが取ってくれた写真はthe エジプト感満載だったので乗る機会があれば是非乗っていただきたい。ちなみにこのじじいに20$盗られたのだが、チップを払うなというガイドの注意をちゃんと聞いていなかったこちらも悪いので教訓としたい。

この写真で着ているのは大英博物館で買ったロゼッタストーンTシャツ。明らかにエジプトに喧嘩を売っている。

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次はスフィンクスへ。ピラミッドの前にスフィンクスが座っている姿は何べんも写真で見たけれど実際に見るとその迫力に圧倒される。ガイドのアドバイススフィンクスとキスしているように見える写真を撮った。なんで男のキス顔を撮ったんだ。また、エジプトの考古学の授業で教授が「スフィンクスの目線の先にはケンタッキーとピザハットがある」って笑いを取っていたのをふと思い出して慌てて確認したら本当にあった。特にこの件は私にとって衝撃的で、そもそもピラミッドやスフィンクスは砂漠のど真ん中にあるというイメージだったからその話を聞いた時も、おそらく遥か地平線上にケンタッキーの建物があるくらいだろうと思っていたのだ。だからスフィンクスと道を挟んで向かいにあるそれらを見て、百聞は一見に如かずとはこのことだ。

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次にアリババという香水店へ。なんとここの店主は日本に20年住んでいたという日本語ぺらぺらの人で、日本人向けのツアーによく組み込まれる店だという。その為、商品の価格が明記されていたり案内が日本語だったり日本円が使えたりととても居心地のいい店だった。私は香水なんてつけたこともなかったのであまり興味はなかったが、彼の香水プレゼンを聞いたり実際に嗅いだりしているうちにせっかくだから何か買おうとなり、エジプトオリジナルだというlotus(古代エジプトの聖なる植物の蓮)とNefertiti(ツタンカーメンの母の名)という香水を買ってしまった。アルコールが入っていない高級品だというので、社会人になることだしつけてみることにしようと思う。

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さて、彼の香水プレゼンが恐ろしく長かった(そのお陰で香水を買ったのだが)ので2時間押しになってしまった。そこで予定されていたナイル川ほとりでの昼食を諦めガイドに現地のサンドウィッチ店で買ってきてもらうことに。それで作り出した時間でパピルス展示を見に行くとまさかの日本語でパピルスの作り方を説明された。何か買おうかと思ったのだが手製なのもあって思ったより高額で諦めてしまった。

さてサンドウィッチを食べながらエジプト博物館へ向かう。入り口で持ち物検査があるが相変わらずの適当さだ。ミイラ室に入る追加料を払おうとしたらガイドに「入らなくてもミイラは観れるからオススメしない」と言われた。中に入るとラメセス2世やネフェルタリなど有名な人々の像、装飾品、そしてツタンカーメンの黄金のマスクなどエジプトに来たら一度は見たい展示がたくさんあり1日かけて回りたい程の規模だった。動物のミイラ展示室の入り口にナイルワニのミイラがあり、「あ、ワニだ」と言ったら「oh,crocodile」と同じ反応をしている外国人がいて面白かった。他にもガイドが「古代エジプトの女性は強かった、どのくらいかというと今私が住んでいる中国の女性並みに強い。中国だと時々男に平手打ちしている女性を見かけるんだ」みたいなことを言ってきたのには笑った。

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本来の予定ではこの辺りで解散の時間だったが、まだナイル川クルーズが残っている。いくつかある船乗り場からヨットのような小型の帆船に乗り川を揺られる。水はお世辞にも綺麗ではないけれど川沿いに建てられたリゾートホテルや道行く人の姿を見ていると日本とは違う非日常感をたっぷり味わえた。

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本来の2時間遅れでホテルに到着。そこで解散と思いきやまさか明日のホテルから空港までのタクシーの手配までしてくれて本当に優しい方だった。

夕食を食べに昨日と同じエリアへ。エジプトポンドを作りたくなかったので、入り口でカード払いできる店を聞いたところ1箇所だけあったのでその店に行く。carpaccioという色々な国の料理を扱っている店で、ナイル川を眺めながら食事ができるおしゃれなところだった。シャトーフィレのコースが140エジプトポンド(約900円)など物価が非常に安いので、コース5人前にビール9杯を飲んで会計が1600エジプトポンド(1万円弱)程だった。素晴らしい。昨日の店とは大違いだ。サッカラビールというエジプトの地ビール的なものがあるのだがこの店にもなく、結局一度も飲めなかったのが残念だ。

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あまりに疲れ切っていたのでそのままソファで寝てしまった。寝てる間に布団をかけてくれた人に感謝。

余談だが、クフ王のピラミッドの断面図は大体の人が把握しているものだと思っていたがそんなことはないようだ。滅多に役に立たないけれど、Wikipediaで学ぶ世界史は面白い。

ヨーロッパ周遊+αの旅⑦ エジプト編3

卒業旅行12日目

8時起床。今日はこのルクソールから抜け出しカイロに飛ぶ。初めは電車で移動する計画だったがエジプト鉄道のチケットを外国人が取るのは至難の技だったので断念した。断念してよかった。

8時起きなのにみんな眠そうだし私も疲れているあたり、昨日のツアーがかなりきている。いい天気だったのでテラスに出て眼を覚ます。朝食を食べ終わると同時に腹が痛くなってきたがエジプトで腹が痛いのは病気を疑うのでやめてほしい。

10時にチェックアウト、外に出ると同時にタクシーに捕まる。空港まで20$だというのを6人乗り15$に負けさせて30分ほどで空港に着くと、入り口でパスポートチェックがあり、その10歩先には荷物検査が待っていた。入り口にかかっていた幕には日本語が書かれていたが何か建設援助でもしたのだろうか。

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荷物預け入れは不安だったのでしない予定だったが、スコッチが持ち込まないというのでやむなく預け入れ。するとGOLD TRACKとかいうビジネスクラス的な席になっていた。ジュースにケーキを配られ、預け入れ荷物にプライオリティを付けられるというとても快適な空の旅だった。

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11:55くらいまで搭乗すら始まらなかったので不安だったが、12:15に予定通りフライト。まさかの機内食が提供されたが、CAさんがキャリーをガンガン座席にぶつけていてすごかった。13:20カイロ着。

カイロ空港で35000円を5000ELに両替。ようやく対人で両替ができた。

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galaxy royal suite hotelという宿から空港まで迎えが来てくれているので40分ほど車に乗って宿に向かう。恐ろしかった。3車線の道を強引に4.5車線のように走りクラクションを鳴らし続け、そんな道を4,50km/hは当たり前の速度で走りその隙間を人とバイクが抜けていく。後ろで悲鳴とうめき声を上げながらバスに揺られると、ナイル川ほとりの雑居ビルに連れていかれた。正直「やられた」と思ったが39階建の上2階が高級ホテルになっている独特のタイプで外見からは想像もつかない豪華な内装だった。部屋はお湯がちゃんと出ないとかとか埃が溜まっているとか所々不満点はあるけれど洗濯もできる上ナイル川沿いの悪くない部屋だ。

夕飯は外に食べにいくのだがあまりにカイロの道が怖かったため遠くに行くのは諦め、ホテルの斜向かいのバーガーキングにいくことにした。ただのバーガーキングだと思っていたが、なんと観光客向け(というより金持ち向け)のエリアがナイル川ほとりに柵で囲われており、そこにあるレストランの一つとして建っていた。持ち物検査をされるバーガーキングは初めてだ。せっかくなのでどこでも食べれるものではなくエジプトらしいレストランで食べようということでイタリアンのアラビア文字の店(店名は読めない)へ。

外観を撮ってこなかったので航空写真だが、この一角が丸々囲われている。青いところが荷物検査エリアだ。

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高級レストランなら大丈夫だろうと思っていたのが間違いだった。味は日本のその辺の店より美味かったのでかなりレベルは高いと思う。しかし対応が極めて雑で英語がいまいち通じない。注文を間違えられ、ビールをこぼされ、調理ミスをされるという日本でされたら激怒モノ(こぼされた友人はキレていたが)のミスをされた。シーフードパスタとクリームパスタの具が混入しあう理由を知りたい。

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夕食後は久々に全員で大富豪をやった。高校の時から大富豪をやると非常に殺伐とするが4年経った今でも全く同じでいっそ清々しかった。大富豪上手くなりたい。そのままソファで寝落ちしたが2時頃起きてベッドに移動。

ヨーロッパ周遊+αの旅⑥ エジプト編2

卒業旅行11日目
6時に起きてすぐ宿から200mほどの距離の両替機に向かう。予定だったけど6:15に起きて慌ただしい朝を迎えた。昨日の夜友人2人で存在を確かめに行ってくれたのだがその間ですら2回話しかけられた上片方は明らかに金狙いだったというから恐ろしい。
6:40に別室のその2人を起こしに行く。「6時に一度起こしに来て6:40に迎えに来てほしい」と言われていたが案の定寝ていたので自分たちだけでホテル斜向かいのATM両替機へ向かう。この国は思ったよりATMが多いしちゃんと稼働している気がする。この機械でしか払い出しできないからよくわからないけれど。その時のルクソールのホテル前の道。高級ホテルの目の前がこれだ。天気”ほこり”とかいう初めて聞く天気を予報が伝えていたけれどそうとしか言いようがない。

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両替機の前で格闘していると昨日もあったタクシーの運転手に「俺が両替してやろうか」と言われた。どうせ酷いレートなので断ると「アスワンでも何処でも駆けつけるからなんかあったら電話しろ」と名刺を渡され、ATMの使い方も教えてくれた。こいつはいい奴なのかもしれない。60$を1040ELに変えてホテル横の商店に行きミネラルウォーターを5ELで購入。新札を渡したら「it's new……」とか笑ってた。なんなんだ。
さて今日は8時から王家の谷を巡るツアーを申し込んでいた。申し込んでいたはずなのだ。おかしい、9時になってもバスがこない。ホテルのロビーに予約票を見せて「ガイドが来ないから電話をしてくれ」と言っても「折り返しの電話が来るから待ってろ」と放置されて一向に対応されない。結局10時に迎えに来るからまた来てくれと言われ、流石にこれには来てくれた。
ハイエース的なものに乗って王家の谷へ。ナイル川を渡る橋の手前で銃を持った警察が検問のようなものを敷いており、後ろの席でザワザワしていたら”always”とだけ言われた。車内ではツアーガイドが英語で説明してくれるのだが、「英語は話せるのか?」「ちょっとだけ」「じゃあゆっくり話すわ」と言われて非常にわかりやすい聞き取りやすい英語で解説してくれた。車内ではエジプトの神話について教えてくれたが、この時ほど大学でエジプトの考古学という授業をとっておいてよかったと思ったことはない。予備知識のあるなしで理解度が全然違う。
最初は王家の谷へ。ガイドがポストカードの写真を見せながら丁寧に絵の意味を説明してくれる。入場券だけで好きな墓3箇所に入ることができ、有名なツタンカーメンの墓には追加料金を払う。それでも追加料が惜しくない素晴らしい光景だった。エジプトの管理の杜撰さが逆にそうした遺跡群を間近に見られることにもなるので、写真でしか観たことのない王家の谷や刻まれたヒエログリフを手に取るように眺めることができた。出発までのエジプトへの期待値の低さから写真を撮るための別料金を払わなかったことが本当に悔やまれる。入り口近くの商店街で友人が民族衣装とスカーフを買っていたが、エジプトは値切り前提とはいえ、正直引くくらい値切っており店主も投げやりになっていた。余談だがエジプトの商店街では「你好」「山本山」「1$」「友達」とあっちこっちから言われる。中国人ではない。山本山がなんで流行っているんだ。
次にアラベスクの手作りショップへ。まさかの日本語ガイドへの引き継ぎが行われたがかなり怪しい日本語で、いっそ英語で話してくれたほうがわかりやすい。「その辺のおみやげ屋で売ってる置物は偽物、ここで売ってるものは全部手作りで本物」「だから高いけど俺がいるから値下げできる」みたいなことを延々言われた。猫が大好きな私はここでバステトという猫の神様の置物を買った。最初45$だと言われたが流石に馬鹿らしいと言い張って27$に持ち込んだ。チェスと置き時計を買っていた友達は250$だかを150$にしていたがチップをせびられていた挙句巻き込まれて自分も払うことになった。お前俺の値引きの時何もしてないだろう。

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次はハトシェプスト女王葬祭殿へ。破壊されてしまってはいるが神殿の姿をそのまま留めており多くの観光客で賑わっていた。長い階段を上っていくと地元の人が「ガンバレ!」と叫んできて驚いた。ここでは写真撮影が自由なのでここぞとばかりに写真を撮っていると、地元の子供が「写真撮ってやる(からチップよこせ)」と言ってくるので困った。ここまででだいぶ時間を取ってしまっていたのでだんだんガイドの英語が早くなってきたような気がする。こちらは王家の谷以上に管理が杜撰でロープも何も張られていないところにどんどん入っていけるので「the遺跡」といった感じだ。

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ツアーは最後の目的地であるネムノンの巨像へ。14時ホテル前解散だったのにホテルまで30分ほどのここで既に14:15。「5分で写真撮って帰ってこい」と言われあまりよくは見れなかったが正直他の二ヶ所より見所は少なそうなので良しとしよう。

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ホテルに着き16時まで休んだ後タクシーでルクソール神殿へ。
ルクソール神殿は巨大なオベリスクや立ち並ぶ石塔などが見所の大きな神殿だ。市内にあるのでとても行きやすい。道中運転手にルクソール神殿はちっちゃくてすぐ観終わるぞ的なことを言われたけれどたっぷり45分くらい観光していたので観光地として十分な規模だ。去年ラスベガスで泊まったホテルがルクソールという名前で、看板代わりに巨大なオベリスクがあるところだったのでまさか半年後に本物を見ることができるとは思わなかったし、エジプトに来た以上見にいくしかなかった。ホテルの方はオベリスク(手前の柱)に”RUXOR”と書かれていた(過去記事参照)。

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ちなみにルクソール神殿へタクシーで行ったように書いたが、実際はホテル前のタクシーの客引きに着いて行ったらまさかの馬車に乗せられた。往復6$だというのでそれも一興と乗ってみたら、他の馬車にぶつかっても信号無視しても、逆走してもdon't worry,be honest,all okの一点張りでめちゃくちゃ怖かった。行きは助手席(?)に乗ったのだが、手綱を渡されて運転したり俺らは兄弟だ!と肩を組まれたりして面白いけど大変だった。ここで待ってるから!と帰りも同じ馬車に乗せられる。これも楽しいには楽しかったのだが、まあ案の定ホテルに行けというのに回り道をする、馬に水を飲ませると言って止まる、6$だと言っていたのに20$要求してくる有様で大変だった。市内馬車観光が1人480円程度と考えれば破格ではあるのだが……。
馬車に乗っていると地元の子供がペットボトルの水2本を持って1$1$1$と連呼してくる。その水は地元の商店なら5LEだからその2倍で売りつけようとしているのだ。写真のチップを求める子供もそうだが、こういう場所に来ないと出会えない現実を直に体感した。

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何だかんだて17:30頃ホテル着。疲れ果てて眠ってしまったので夕食は抜いた。私と同じように寝たもう1人を除いた3人はホテルの横のla terrazzaというイタリアンレストランで食事をしに行った。1人2000円くらいでたっぷり美味しいご飯が食べれたらしい。
夜になるとホテルのプールでパーティが始まり、夜遅くまで音楽が流れてきた。ナイル川の夜景とパーティを眺めながらテラスでしゃべるなんていうおしゃれなことをしてから就寝。

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(1記事につき2日入れようとしたけどエジプトに入ってからの日記があまりに長いので1日で切りました。)

ヨーロッパ周遊+αの旅⑤ ドイツ編2~エジプト編1

卒業旅行9日目
今日は有名なノイシュヴァンシュタイン城に向かう。8:30起床。朝飯は抜きで早々に車に乗り込む。集合時間の90分前にチケットカウンターに行かなくてはならず、この時間なら余裕を持ってつけるはずだったのだがガソリン給油をしないといけないことを完全に忘れており時間ギリギリに到着する羽目になった。しかも私たちはその90分を昼食やお土産物巡りに充ててしまった。てっきりチケットカウンターに集合だと思い込んでいたが山の上の城の前集合であり、30分前になって受付の人に「そこの道から山登って!急いで!」的なことを言われて突如早足山登りが始まり、着いたのは集合の5分前だった。
入り口は近代的で、改札口とモニターがあり、そこに自分のチケットの番号が表示されたら入場する。集合場所には多くの観光客が押しかけていて、横には日本人ツアーも来ていた。ノイシュヴァンシュタイン城の中は写真撮影NGだった。英語ガイドさんの説明をどうにかこうにか聞きながら場内の景色を楽しむ。当時の芸術の粋を尽くした彫刻、絵、調度品が並び、窓からは麓の町が雪景色とともに一望できる美しさだった。一部工事中だったのが残念だが有名なだけあってここまでで一番観光地然としていた。日本人観光客も多くあちこちから日本語が聞こえてきた。いわゆる観光地にあまり行かない我々の旅にしては珍しい。自分たち以外の日本語を聞いたのはストーンヘンジ以来ではないだろうか。

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私は行った先でそこのシールを買いキャリーケースにつけるのを楽しみにしている。イギリスとスコットランドではついぞ見かけることもなく、日本に帰ってからユニオンジャックシールでも買うかと思っていたのだが、ノイシュヴァンシュタイン城売店でついにシールを発見。ヨーロッパにはシールの文化がないのかと意気消沈していたので思わず声を上げてしまった。日本に帰ってきたらこのシールがどこにも見当たらないので幻だったのかもしれない。
帰りは車でミュンヘン空港近くのhotel hallgergerhofへ。外見が紫でライトアップされていてラブホっぽい。中は一軒家のようになっていて食器や調理器具も一式揃っていたが、リビングの電気が食事中突然消えるなど悪い点もいくつかあった。夕食は近くのEDEKAというスーパーで買ったサンドウィッチとハム、ビール。ハムが日本のスーパーのそれ以上に美味しくて明日からエジプトに行きたくなくなった。

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この日は日本のコンセント口をドイツに変換するプラグをどこかになくして来てしまうアクシデントに見舞われとても疲れた(これをなくしたのは私ではない)。前の宿に取りに行くという事も考えたが往復5時間かかること、それより明日出発前に家電量販店で新しく買ったほうがいいだろうということで落ち着いたが、地球の歩き方に次いで変換プラグという旅に必須の品をピンポイントで忘れるとは…。
なおこの日、毎朝準備がギリギリの友人にもっと早く起きて準備してくれ的なことを言ったら「じゃあもっと早く起こしてくれ」と言われた。は???

 

卒業旅行10日目
いよいよ2桁の大台。
7:20起床。今日はミュンヘン空港からエジプトのカイロに飛びそこからさらに南のルクソールに飛ぶ。人生初かつ最後のアフリカになるだろうということでとても楽しみだ。
レンタカーを返却しミュンヘン空港へ。エジプト航空が見つからずインフォメーションでルフトハンザと同じところでやってるからそっちに行ってくれと言われ、その上機械でチェックインしようとしたら一人分しか出てこなくてカウンターに行く羽目になった。チェックインを手早く済ませて昨晩無くした充電器を買おうとしていたからかなり焦ったが、無事充電器も買うことができた。また、ブランチで空港にあったairbrau brauhausという店に入りビールとソーセージ、プレッツェルを食べた。どこかでプレッツェルを食べたいと思っていたので思わぬところで食べれて満足。ミュンヘン空港のターミナル2の3階にsushi boxがあり、見た目普通の寿司が提供されていたので日本食がどうしても食べたければここで食べよう。寿司の魅力を断ち切り出国前最後のコーヒーを飲む。店員の姉ちゃんが英語ドイツ語タイ語を話せるマークを付けてて驚いた。こちらが英語もまともに話さないとわかるや簡単な単語を選んでくれるほどである。

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ドイツ人は英語で話しかけてもドイツ語で返ってくるほどドイツ語に誇りを持っていると聞いていたが実際はそれほどでもない、というか人によると思う。少なくとも店やホテル、空港などでは非常に平易な英語で対応してくれたしイギリスよりよほど聞き取りやすかった。
1430発のエジプト航空に乗る。評判の悪い航空会社だったので不安だが、まあ隅に埃が溜まってる以外不満はない。機内で流れる案内映像で「ゲームも携帯も通信を切ってくれ」という説明はどこでもされると思うが、その時の映像がPSPと初期iPhoneガラケーで、相当長いこと更新されていないことを伺わされた。その後はずっとアラビア語?の映画が流れていたが一切見ていないのでわからない。
機内食ビーフかチキンかフィッシュから選ぶ。私はビーフを選んだ。開けた瞬間うわ米かよと思ったが食べてみるとピラフのようで意外に美味しい。肉も柔らかく味付けされており食べやすかったしデザートのケーキもチョコソースとベリーがとてもマッチして、イギリス以来のスイーツに感激した。マカロニサラダからマカロニを抜いたようなものはまあうん。結局持ち帰ってはいなかったけれど、横に座っていた友人が「パンは(エジプトで何も食べれなかった時用の)非常食だろ」と言っていた。逆隣のエジプト人のおばさんが飛行機内で堂々化粧を始めた時はびっくりしたが、まあ日本の電車内みたいなもんかで済ませられたあたり、その辺の若い女性に感謝したい。

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17:38着陸。着陸時の揺れがあまりにも大きくてとても怖かった。
さてカイロ空港。人生初のアフリカにテンションを上げるのはさておきまずこの国はアライバルビザを取らなくてはならないのだが、これが本当に大変だった。まずどこで取ればいいのか一切わからない。空港の銀行で25$で買うのだが、まず矢印通りに進むと銀行が1箇所しか空いていない上、手際が余りにも悪く大行列。挙句「システムが落ちたから向かいの銀行に行ってくれ」と。いやまずその存在を教えろ。向かいに行ったら今度はタバコを吸いながら対応する係員。手際がめちゃくちゃ良かったから全て許せるけれど。

エジプトの入国ビザがとてもかっこよかった。手間だし金もかかるけれど、スタンプより旅に行った思い出になる。

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その後も手荷物検査やら入国審査やらで色々あったのだが慌てていたし色々ありすぎて忘れてしまった。入国審査の兄ちゃんにコンニチハと言われたのだけ覚えている。ルクソールへの乗り継ぎは20:45の国内線。4列のとても小さい飛行機だった。中国人の家族連れがいたり、明らかに観光客の白人が多く驚いた。余談だが、ラスベガスにあるホテル“Luxor”は「ラクソー」と発音しないと通じない(地球の歩き方参照)のに地名のそれは「ルクソール」で通じた。
21時頃離陸。空から見るカイロの夜景は思わず口を開けてしまうほど明るく綺麗だった。その分、カイロの光と砂漠の暗闇の境目が見事な線になっていた事も印象的だ。機内では到着の30分前にプレッツェルとクッキーが配られた。クッキーは非常食にした。それよりも未開封プレッツェルから破片がパラパラ落ちてくるのはどういうことなのか。22時ちょうどに着陸。

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ルクソール空港を出た途端タクシー運転手に一斉にたかられる。2台で150×2だの1台で200だのとぼったくり価格でギャアギャア騒がれて鬱陶しかったがあまりゴネてもめんどくさいので1台で200ELに乗ることに。普通のセダン型に運転手含めて6人詰め込まれる。意味がわからない。そのまま空港を出ようとしたら出口近くで迷彩服の軍か警察に中を調べられる。明らかに無理な乗車なのに止められない。意味がわからない。乗る前に「現金がないからカード使えるか?」「無理だから道中ATMで金を降ろしてくれ」と言われてATMに行くも金を下ろせない。意味がわからない。ホテルの入り口に空港的な手荷物検査がある。意味がわからない。怖い。安全性を考えてsteignberger nile palace hotel Luxor という高級ホテルにしたのに4人分の部屋の用意しかされてない。wifiも何もかもオプション料金を取られる。酷すぎる。帰りたい。誰だアフリカ楽しみとか言ってたやつは。1ELも手にすることができないまま午前2時に就寝。明日は6時起き。