9号車乗り場

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旅行記やら日記やら

書くことがない ver.2

書くことがない。書くことがない。と言い訳し続けてあっという間に一週間が過ぎてしまった。前回、酒を飲みながら駄文を書いたのがついこの間の様な気がする。読み返さないし添削もしない、と心に決めたことだけは覚えているので、なにを書いたかうろ覚えだけれど。2か月連続で書くことがないなら書くなよとも思うが、あいにくこのブログは月一で更新すると決めているので書かないといけないのだ。

 

8月まで在宅を勝ち取ったわけで、しかしそうなるとますます外に出ないわけだから記事のネタが全く集まらない。在宅になったことで変わった習慣といえば、作業中にBGMガンガンかけられるようになったとか、ナイターを頭から見れるだとかそのくらいでしかなく、それを記事にしようにも「東方アレンジに今更はまってしまったでござるよフォヌカポウ」「今年のハム弱くない?」みたいな2ちゃんまとめブログのタイトルにしかならない。

 

本当に書くことがないので、最近発見したことを書くことにする。

うちの近くに小さなT字路がある。そこまで交通量も多くないし見通しも悪くないので、10年前?くらいにできた歩行者信号が無視されている現場にしょっちゅう居合わすのだが、いい子に育てられた俺は「この信号だけは何が起きても守る」と決めて大人になった。横でおばちゃんのチャリが突っ切って行こうが、曲がり角のキャバの黒服に見られようが、雨の日も風の日も暑さの夏も日照りのときもそうして守り続けてきた。

しかし、どうにもこの信号と相性が悪いらしく、目の前で赤になったり、まだ遥か彼方に見えるときに青に変わったりされる。いい加減なんとかならんかと思った俺は閃いた。こうすればいいのだ。(図参照)

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いや、これ信号待ちの先頭の運転手からしたらヤバイ奴なのだが、もう2桁年の付き合いの信号のためにはこうするしかなかった。中学生の時にも同じことを思いついて数度やったことがあるが、その時は歩幅の問題か切り替わり時間の問題かあまり変わらなかったのですぐやらなくなった記憶がある。「小学校の通学路を歩くと何もかもが小さく見える」なんてよく言われるが、こんなしょうもないことで自分の身体がでかくなったことを実感したくはなかった。

 

そういえば、上の図を描くのに使ったのはクリスタである。給付金を当て込んだ母親がiPadを購入したので、どうせろくに使わんだろう目論んだ俺はApplePencilだけ購入した。案の定、時々動画を見る以外に使っていないようなので無事基本的な置き場が俺の部屋になった。せっかく在宅勤務で時間があるのだし、ということで暇を見つけて絵を描いている。

小学生の頃、あまりの絵心のなさを憂いた母親に図画教室に通わされていたことがある。親父は中々に器用で(押し入れの中に大量のプラモが仕舞われていることを知っている)、母親も、俺が小学校で出された絵の課題を代わってくれていた(記憶が正しければかなり上手かった)。そんな血を引いているはずだが、その教室の先生にも匙を投げられるほど下手だった。そりゃ絵の課題を親に全部投げていれば素質が仮にあったとしても養われるはずもないのだけれど。

そんなわけで絵が描けないのがコンプレックスで、美術の時間は相当嫌いだった。好きな授業があったのかはこの際置いておく。

多分大抵の人間は友人の中に2,3人は絵の上手い人間がいると思う。オタクコミュニティに身を置いているなら尚更多いだろう。俺は絵でも小説でもなんでも創作活動している人間を普遍的に尊敬している。無を有をにできるのは神かヴェーラーか創作の出来る人間だけだ。

羨ましい。こんな駄文しか書けない人間よりも何倍も広い表現技法を彼らは有しているわけで、アウトプットの手段も豊富なわけだ。基本的に「憧れ」たものになろうとはしないししようともしないのだけど、その対象があまりにも身近にいたものだから、やってみようという気が起きたのかもしれない。 別に神絵師になりたいとかではなく、人並みになりたいというだけなのだ。少しづつでも継続したい。

 

(起と結で話題が100%変わってるな…)