9号車乗り場

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旅行記やら日記やら

ゲームとストレスの話

ゲームのジャンルの1つに音ゲーと呼ばれるものがある。太鼓の達人とかそういう類のものだ。最近はスマホでも多種がリリースされておりプレイ人口が多くなっていると思う。私はここ1年ほどこのジャンルのゲームに傾倒しておりゲームセンターに通い詰めている。いや、そういうと所謂『ガチ勢』の皆さんからおしかりを受けそうなのだが、少なくとも自分の中では長続きしている方なのである。そんなゲーム如きに大枚をはたいて、などと批判的な意見もあろう。実際私もこの趣味にはまるまでゲームセンターにはあまりいいイメージはなかった。ただそのイメージを覆し、今や日々そこに行くようになるというのはそれなりの魅力があるのではないかと思った。それはなにか。

一言でいうと、簡単に成長を実感することができるという点である。どのくらい上手にプレイできたか、自分がどのくらいの上手さなのか(レーティング)が逐一数値化されて表示される。ハイスコアを出せた、レーティングを更新した、などが非常によくわかる。いわば自分との闘いが手軽に楽しめてその上ストレスフリーなのだ。ゲームで苛立ってどうするのかという話だが、対戦ゲームと違って相手(弱い相手とマッチングできれば勝ちやすい)に左右されることなく、運要素に左右されることもないというのも気分よくプレイできる一因であろう。

もうひとつ好きなゲームがある。ポケットモンスターシリーズだ。とはいっても今年に入ってからはほとんどプレイしていない。なぜなら非常にストレスの溜まるゲームだからである。分類的には対戦ゲーム、しかもその勝敗に運要素が大いに絡んでくるのだからイライラしないはずがない。ゲームというのは本来娯楽でありストレス解消の手段であるはずだ。たぶん対戦ゲームも「負けた悔しい、次は勝てた嬉しいな」くらいの気持ちでやるのが一番精神衛生上良いのだとは思う。それでも勝ち負けが記録される以上その数字を意識してしまうのが人間である。だから私はポケモンをやらなくなった。

自分との闘いというのは実に便利な言葉である。敵の強さを自分で設定できるのだからいくらでも勝てる。「そんな甘いことしてたらうまくならない」なんてことを言われるかもしれないが、ゲームは娯楽である。

所謂『ガチ勢』の界隈に(今もつま先程度は入っているが)所属していたことがある。プレイスタイルの批判、意見の押し付け合い、プレイ中の罵声。本当に彼らはゲームが好きなのかと問うてみたくなる異様な空間であった。私がそこの空気に合わなかっただけだから彼らを批判するわけではないが、ここでの経験がゲームへの向き合い方を変えたと言っていい。ゲームは娯楽。楽しければそれでいい。音ゲーはまさしくそれを叶えてくれるジャンルである。

 

さて、私は音ゲーに何円使ったのか。それを考えるのはストレスになるので、今後も一切振り返らないであろう。