9号車乗り場

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旅行記やら日記やら

就活鬱になった話

就活鬱になった。症状を最初に自覚したのは5月18日の朝。某会社の面接に向かう途中、その会社の最寄り駅で体が動かず降りることが出来なかった。なんとか面接には間に合ったが、そんな気分で受ける面接がうまくいくはずもなくお祈り。思えばこれ以前に受けた(そして落ちた)会社も、自覚がなかっただけで顔には出ていたのかもしれない。その後も「新卒入社出来なければ日本人として不適合のレッテルを張られる」という恐怖心にかられ、それだけで面接や説明会に参加し続けた。

このころはまだ(なぜ受かっていたのかわからないが)志望度の高い有名企業の選考に進めておりそれを生きがいにして就活をしていたのだが、それも5月下旬には落ち、いよいよ以って心の支えがなくなった。

 そんな中6月上旬、(本当に出た理由が分からない。送信ミスを疑った。)初めて内々定を獲る。知名度はないが規模は大きい会社だったし、もうここで終わりにしようとも思った。しかしここで思わぬ『敵』が表れる。親(うちの場合は母親)である。私の母親はいわゆるバブル世代に就職した人種であり、高卒にもかかわらず某大企業でOLをしていた人間だ。当時の価値観で私の就活に文句を言ってくるものだから、嬉々として内定報告をしたときには「え、やめてよそんな聞いたこともない会社。大学出て行くところじゃないでしょ」と宣ってきた。

 私は元来「いい人」である。障害者なりかけの私を21年育ててきた親に対して少なからずの感謝の念を抱いている。それもあったのだろうここで終わりにしたいという思いを言えないまま、自分の気持ちを殺したまま就活を続けてしまった。母親の望む、「聞いたことのある、大卒がやってそうな会社」を求めて。しかしそんなあやふやな目標による就活がうまくいくはずもない。ある時は文系SE、またある時は教育関係と様々な会社を受けに行ったが、軸もなく、志望動機もない、そんな面接が通るはずもなくひたすら落ち続けた。そして忘れもしない6月28日。この日私は、あえて社名を出すが、『日立社会情報サービス』の一次面接で人生初の圧迫面接を受けた。「それうちの会社じゃなくていいよね」「内定出てるならそこ行けばいいじゃん」など。これをきっかけに、収まりつつあった就活鬱が再発した。その翌日の説明会に向かう道中に自然と涙を流したほどだ。

 一回目は前述した理由と恐怖心から、就活鬱についてあえて調べなかった。しかしいよいよ以って体力と気力の限界を感じ検索、私が就活鬱であることを自覚した。認めたくない。私は鬱になるタイプの人間ではないと思いたい。しかしなってしまったものは仕方ない。思えば12月16日の合同説明会から就活を始めすでに半年が経ったのである、よくやったものだ。40社以上受けた。内定は2つ取った。私にはまだこの後50年近くの労働が待ち構えている。それを乗りこえるためにも、ここは自らを褒め、慰めつつ就活戦線から撤退するべきであろう。

 人生で最も辛い体験であった。願わくば、これ以上の苦しみを味わう機会のない人生を送りたい。